『去りゆく』

徐々に霊体が体験者から離れていくという怪異が珍しい。おそらく別れを告げに来ているだろうと推測できる行動なのであるが、実際に長期間にわたって少しずつ立ち位置を離していくことでフェイドアウトするというケースはあまり記憶にない。その対象となる人が亡くなるのだろうと予想を立てつつも、それなりに希少な怪異であるために、本当にどう展開するのだろうかという興味を持って読み進めていった。そして見事なぐらい書き手に裏をかかれたという次第である。
文章で表現されている以上、視覚的な部分で読み手はある意味目隠しされている部分があるのは言うまでもない。この作品の場合、体験者自身が母の妹である叔母だと認識して接してしまえば、読み手はそれを“事実”として了解して読んでいくしかない。読み手には自分自身で、その現れた霊体の正体が実の母であると見抜くことは不可能に近いだろう。ただしこれがアンフェアな仕掛けであるとは思わないし、実際文章表現の場合、こういうミスリードを読み手にさせることは珍しいことではない。体験者が叔母であると意識してしまえば成立する誤解であり、これを読み手が非難することの方が大人げないとしか言いようがないだろう。むしろ結末を知って再読すると、書き手がかなり細心の注意を払って、叔母の存在に読み手の注意がいくように誘導しているのが分かるし(体験者自身がそのように意識しているのだから、当然と言えば当然の流れなのであるが)、それでいながら母親の曰くありげな言動もしっかりと書き留めている。このあたりの書き方は、かなり計算された結果であると言えるだろう。
なぜ母親の霊体が叔母によく似た姿形で現れたのかという問題であるが、実際数多くの霊の目撃談を分析すると、霊体は“自分が見せたい姿形を相手に見せることが出来る”能力を持っていると考えられる。例えば、事故の悲惨さや痛みを訴えたければ事故で亡くなった直後のむごたらしい姿で現れ、生前の思い出を繋ぎ止めるためであれば懐かしく穏やかな姿で現れることになる。霊体の意志が強くなればなるほど、相手の霊的な能力が低くなるほど、その思いを相手に如実に見せることが出来ると考えて良いと思う。
この作品の場合、おそらく母親は、我が子(体験者)を産んだ直後ぐらいの年齢で現れたのではないだろうかと推測する。彼女にとって一番輝いていた時代だと感じていたからこそ、そして息子に対して愛情を最も注ぎ、一番美しい記憶に満ちていたからこそ、その姿で息子に最後の対面を果たそうと思ったのではないだろうか。あるいは、もしかすると母親であることが息子に知れてしまうことを懸念した思いが、息子がおそらく知らないだろう姿に結実したのかもしれない。いずれにせよ、母親の強い意志が長期にわたって同じ姿を見せ続けたことが真相であり、その若かりし頃の姿で現れたのは強い愛情から来るものであるのは間違いないと思うところである。
感情的な言葉を極力書かないことによって、むしろ情緒に訴えかけてくる部分を強くさせており、少々計算尽くではあるが、ジェントル・ゴースト・ストーリーの典型的な作品に仕上げていると言えるだろう。さらに言えば、下手をすれば平板な印象で終わってしまうかもしれない怪異をミスリードさせることによって最後まで真実を隠し通せたことも、なかなかの技量であると感じる。ただ大ネタの怪異譚ではないという部分で、評点を上積みするところまではいかなかった。完成度も高く良作であることには違いないのではあるが、やや厳しめの判断である。
【+3】