『GAME』

臨死体験を扱った怪異譚であるが、完全に書き方を誤ってしまっていると言えるだろう。実話としての信憑性というものを、書き方によって全て失っているという意見である。
臨死体験(あるいは幽体離脱)を語る場合、一番大きな問題は“信憑性”をいかにして獲得するかである。臨死や幽体離脱をしている場合、体験者は覚醒した状態の意識レベルでは全くなく、ある意味夢を見ているのと全く同じ状態にある。つまり、本当に超常的な体験をしているのか、あるいは夢を見ているのか本人自身すら判らない状況なのである。もしかすると意識を失っている間に見た夢である可能性も十分あるわけである。そこで必要とされるのが、誰もが否定することが難しい、客観的な証拠になる。例えば、意識を失っている間に第三者の間で起こった特殊な出来事を“臨死体験”中に目撃して、体験者が明確に言い当てたなどの事例。あるいは“臨死体験”中に全く出会ったこともない親族縁者に遭遇して、関係者に言伝を頼まれるなどの事例。要するに、体験者が意識を失って臨死状態で見聞した情報が、客観的に事実として他者にも物理的に証明されるような内容がなければ、体験者が主観的に見た夢であると否定されても致し方ないのである(特に臨死体験は科学的な研究対象として、かなりのサンプルが集められ、精査されている。そのため非常に厳格な条件をクリアしないと、臨死体験の「事実」として認められないだろう)。
この作品の場合、まず臨死状態で体験者が垣間見た情景に関する情報がきわめて曖昧である点が指摘できる。事故現場の交差点で、ここで亡くなった複数の霊体とやりとりをしているのであるが、そこにばかり焦点が当たりすぎて、臨死世界という異界の情景があまり活写されていない。この部分から、できる限り客観性を作り出そうという印象が弱くなってしまっている。やはり特殊な世界での体験であるが故に、いかに体験者が冷静な状況であったかを示すために説明的な描写は必要以上に書いて然るべきであるという意見である。それに対して、会話、特に相手の喋っている言葉については自分が発していないだけに、余程のことがない限り一語一句覚えきれるものではないわけであり、その点で言えば、この作品のような饒舌な流れは何となく後付けされた印象を招きかねないだろう。率直に言えば、説明描写が少なく会話で構成された“臨死体験”の場面は違和感を覚えるし、また何かしら作り物めいたにおいが強烈に漂うという印象である。
そしてこの作品の最も致命的な部分は、看護婦に対する体験者の心証である。最後の数行によって、体験者は看護婦を臨死体験の場に居合わせた霊体の一人である認識しようとしている。これによって読み手は、それまで書かれてきた臨死体験がただの“夢オチ”どころか、この話そのものが作り話であるという気持ちにさせられるのは間違いないだろう。体験者が臨死体験で見聞した世界の住人は死者以外に存在することはないのであり、それが現実世界の生者として再登場する場面は、まさに創作ならではのシーン、少なくとも展開上の致命的矛盾をはらんでいると言われてもおかしくない。慎重に読めば、この部分の流れはもしかすると書き手の思わせぶりなホラーチックなサービスだったのかもしれないが、それまでの少々胡散臭い流れの伏線によって、完全に創作としか読み手にはうつらないのではないかと言うほど、悪い意味ではまってしまった部分であると言えよう。しかもこの看護婦の言葉の中に、体験者の臨死体験が超常現象であることを証すための重要なキーワード(事故現場は事故多発地帯であり、その中の犠牲者に医師がいる)が入っているのであるが、それすらも結局創作の一部のような印象しか残らなかった次第である。
最終的な評価としては、体験者も存在して実際に“あったること”を100%描いた作品であったとしても、「実話を元にして作られた(創作)作品」の域を超え出るものではないという意見である。実話怪談としての味付けを完全に誤り、似て非なるものに仕上がってしまったとしか言いようがない作品である。実話にはやはり実話なりの書きぶりというものがあり、それを逸脱してしまえば虚構と受け取られても致し方はない。しかもこの作品のように、“あったること”としての信憑性を常に求められるジャンルの怪異譚であればなおさらである。個人的には、完全に創作としか認識できなかったので、最低点ということで。
【−6】