準備

2月から【超−1】が開催される。このブログを展開する気になった大きな要因なのだから、当然奉仕させていただく所存だ。また傑作・怪作を堪能させていただける機会を得たことに感謝。


今年の大会に臨んでの僕のスタンスであるが、昨年とほとんど変わらない。“全作講評”と“出来るだけぶれない視点”だ。作者の意図を汲み、それが表現としてどこまで成功しているかを評価する。また怪談のレトリックの完成度を評価する。そしてこれが一番重要なことかもしれないが、整合性の有無を評価する。「怪談ジャンキーの、怪談ジャンキーによる、怪談ジャンキーのため」の祭典であると位置づけるが故に、書き手の質の高さと同時に、読み手の質の高さも堅持・誇示したいと思う。


今回から特に自重せねばと思うことは、むやみに作者同定を試みる姿勢である。とりわけ昨年のランカーの作がどれかを詮索するのは避けたいと思っている。僕自身、このような行為は主催者の意図に反するものだという認識がある。あくまで作品本位に講評者は心がけるべきだという意見だ。作風や書き癖から何となく分かってしまうというのが本音であるが、それが悪しき先入観となってしまうことは、講評者としてアンフェアだと断言したい。(同一応募者が講評で指摘された点を改めない、同一応募者の作品であることが認識された方がプラスに働くといった場合は、昨年同様、積極的に突っ込ませていただくことになるけれども)


だが今年の講評は昨年以上に厳しいものになりそうな気配だ。詳細なレギュレーションはまだだが、公表された改変部分を読むと、応募者に対する“縛り”がかなり減っている。いわゆる「傑作集に掲載」を狙っての応募者が増加、応募作もかなり増えるのではないかと予想している。万一1000編を超えるような事態になった時、果たして“全作講評”が出来るのかどうか、不安である。


それ以上に戸惑っているのは、得点の付け方である。「TBなら−6〜+6点」というレギュレーションを読んだ瞬間、講評者の責任の重さを感じると同時に、どうやって得点に差を付けようかと思ってしまった。まさに困惑しきりだ。昨年の3段階というのも大雑把すぎて苦労したところもあるが、今度のは更に神経を使うことになるだろう。正直に言ってしまうと、作品を13段階で読み分けることが果たして可能なのか、全く自信がない。5点と6点の違いについて、きちんとした説明が出来るのだろうか。これは余程しっかりとしたスタンスを作っておかねば、講評の精度の問題にまで発展しかねない。評点に主観が入ることにはやぶさかではないが、点数がぐらつき出すと、正しく評価しているだろうものまでが色眼鏡で見られてしまう危険がある。


公式サイトが出た段階でまた考えることになるが、しばらくは僕なりにいろいろと呻吟しながら個人レギュレーションを組み立てていきたいと思う。とりあえずは、このブログで講評展開の予定である。