『「超」怖い話Κ』

「超」怖い話Κ(カッパ) (竹書房文庫)

「超」怖い話Κ(カッパ) (竹書房文庫)

この界隈のジャンルの物書きの中で、多分今一番旬を迎えているのが平山夢明氏であると言ってもおかしくないだろう。そのあたりの活躍ぶりは創作作品も含めて扱う書評諸氏に任せておくことにして、今年は怪談世界でもなかなかの収穫の年ではないかというのが個人的見解である。一介のライターの時代から書いている『「超」怖い話』シリーズで単著扱いの作品を上梓したのも、偶然というよりも為るべくしてそのような展開となったという風に捉えている。まさに脂がのっている状態であるという認識である。

今作の一番のポイントとなる点は、今まで共著者としてあった加藤一氏がはずれることで、売りの一つであった“配列の妙”とも言える全体的な流れがどのようになるのかが興味のあるところであった。結論から言ってしまうと、クライマックスの部分でやはり強烈なネタが密集していたが、“妙味”と言えるレベルまでの配列の工夫は見られなかった。というよりも、はじめから剛速球を投げ込んできており、しかも最後まで衰えずに引っ張っていくのであるから、緩急をつけるとか、読者をハッとさせるような仕掛けを作るとかいう細かな配慮がなくとも押し通せると言う方が正しい。やはりグロを書かせたら右に出る者はいないというのが正直な感想である。

<平山怪談=グロ怪談>という一般的認識があるが、その実、絶妙な隠し味がある。今回は単独著ということでそのカラーが全面に出ているように思う。一番目立つのは意外なほど静謐な最終作であるが、ラストの10作ほどに顕著に見られる作者の視線である。

“実話怪談”の本質の一つに“怪異の記録”があることは間違いないところである。当然平山怪談もその轍を踏んできちんと怪異の描写に努めている(これの最たるものがグロになるわけだが)。だがその連綿と続く怪異の中で体験者が何を思い行動しているかを、平山怪談は短い言葉ながら的確に表現している。個人的な言い回し方を使わせてもらうならば、体験者の“生きざま”が明瞭に描かれた作品が多く並ぶのである。今回の本の中にはかなりのボリュームで書かれた作品が含まれており、そういう作品になるほど登場人物(体験者)の意識がより多く書き込まれていく。もっと端的に言えば、怪異を起点として人間ドラマと言うべき展開が見えてくるのである。どす黒い情念は読者の恐怖感を鷲掴みにし、ほのかな希望は読者の感動を呼び起こす。怪異譚の中に登場する人物が単なる記録された存在ではなく、それぞれ“生きざま”を持ったダイナミックな存在であるが故に読者に大きく迫ってくるのであろう。

怪異に関する描写と言い、ストーリーに登場する人物の活写と言い、現在の“実話怪談”畑でこれだけ質感のあるものが書けるのはおそらく平山氏をおいて他にないだろう。ただ今回『「超」怖い話』の単独著で凄味を見せたわけであるが、他の先行する“実話怪談”単独著書との違いがどこにあるのか、今度はその部分について個人的な見解を書いてみることにしたい。