『うわさの人物』

うわさの人物 神霊と生きる人々

うわさの人物 神霊と生きる人々

一言でいえば、非常に有意義な作品であった。加門七海氏のインタビューに応じた人々は全員何かしら神霊(心霊ではない)と接触することが可能な人物であり、霊能力を持つ側の人間の能力の源泉なり“見え方”なりをダイレクトに語っている。この種のものに興味を持っている者であれば一度は聞いてみたかった内容であり、文字媒体としては可能な限りの記述であると思う。特にマスコミの露出が多い方の神霊体験の話は劇的なものがあり、その容姿を知っているからこその凄味を感じた。霊能力者(ご本人達はその言葉をかなり嫌っておられるようだが)がその能力が発揮される瞬間を具体的に、そしてインタビュー形式で(本人だけによる著述とは違い、整合性がより試されているわけである)語るというのは、非常に稀なケースであると思う。それだけでもこの本の価値は高いだろう。

だが、この能力に関する記述以上に素晴らしいのは、“日本人の心性”と言うべきものへのアプローチである。超常現象に関わるエピソードが目白押し、しかも霊能者という、まさに日常と完全にかけ離れた部分を掘り下げることによって、日本人が古来より持っていた心性の拠り所が明らかになっていくという、本当に驚くべき構成となっている。歴史的検証によって、日本人の心性は明治維新と第二次大戦敗戦の2つの契機によって大きく様変わりしていったことは事実である。その影響は既存の宗教ですら免れ得なかった。だが、公から弾圧を受けたり、世間から白眼視されている心霊関係の中にこそ、その本来の心性とも言うべきものを見出したことは、この本の最も有意義な部分であると言えるだろう。この“非日常の中に日常の本質がある”という二律背反的真理こそが、途切れることのない心霊に対する需要の本質であると感じるところである。

本当に神や霊がいるかどうかが、インタビューによって明瞭に証明されたとは思わない(各人の話を総合すれば矛盾点が多数あり、却って胡散臭さを増している感さえある)。しかしながら、汎神論的世界観を有する日本人の心性が色濃く残されている世界の一つとして、霊能者の存在があるということは間違いないだろう。スピリチュアルな世界がなぜ現代日本において“癒し”の源となっているのか。また、いわゆる“カルト”とこれら霊能者とを区別している精神性がどこに存在するのか。この本を読めばその答えは簡単に見つかるだろう。この本に書かれた内容を全て否定することは愚かだと思うし、逆に全てを無条件に肯定することも正しい理解に立っていないと思う。第三者の肯定も否定も超えた部分で、これらの能力を持った人が存在すること自体を受け入れることが重要なのかもしれない。それが“現実”なのだからである。