『てのひら怪談2』

実は、“創作”を前提とした怪異の作品を評することについては行わないと、最初から個人的な暗黙の了解があった。自分の書評とは“作品内容の真贋”に関するものと決めていたからであり、怪異の創作作品にまで手を伸ばせば到底こなしきれるものではないという恐さがあった。しかし、今回その自ら課していた掟を破って、ほぼ創作作品と言える怪談本を評する気になったのは、やはりそれなりの理由が存在するからである。

昨年末の【予測】で書いていたように、今年最もブレイクする胎動を感じているのが、この“怪談”の世界である。その原動力となっているのが、既存のプロ作家の作品に混じって登場してきた、ネット公募作品の傑作集の存在である。多くの人の目に触れることによって鍛えられるという事実は、アマチュアにとってはまさに千載一遇の好機であり、そこから選ばれた作品単体の質はプロの領域を脅かすほどのレベルである。こういうハイブロウなものが生み出されることは、供給側にとっても需要側にとっても幸福な状況である。そしてこういう幸せな環境が、やがて新しい開拓の炎を上げて広がっていくものである。これが【怪談】がブレイクするのではという予感に繋がっている。

現在【怪談】を取り巻く問題の一つに“実話”と“文芸”の反目がある。怪異を愛で、そして自らも怪異そのものに片足を突っ込んでいるという人であれば、必ずこの問題に対して一家言を持っていると思われる。その意見の多くは、この二つの概念が対立軸のようになっているという認識である。かくいう私も“実話”の方に大きくシフトしている人間であり、“文芸”に対してあまり良い印象を持っていないことは確かである。だが、大局的なものの見方から【怪談】の行く末を考えると、どちらか一方だけを贔屓して相手を貶めていることにうつつを抜かす時であるか甚だ疑問である。むしろ互いの美点を認めあい、伸張を続けることによって、あやかしの領域を広げることの方が急務であるという考えに至っている。そのために自分が出来ることは、【超−1】と並び立つ【てのひら】作品を評の対象として、怪の何か新しい表現や構成を見出す仕事であると考えたわけである。

この『てのひら怪談2』についての評価であるが、やはり“文芸怪談”の雄が直接関わっている大会であるという印象である。評価方法が【超−1】とは違う形式であっても、参加者それぞれが技量を研磨して鍛えられている感は強く、各作品ついても十分リスペクト出来る質の高さが目立った。そして作品を通覧して、“実話怪談”にないコンセプトと同時に、逆に相通じるコンセプトを見出している。それ故に、今回掲載された100話全てを俎上に載せてさばいてみようという気になった。掲載の栄誉に浴された方にとっては迷惑至極のことかもしれないが、“実話怪談読み”からの目線ということで興味を持ってごらんになっていただきたいと思う。(ちなみに【超−1】同様、応募作全660話あまりを評することも考えてみたのであるが、さすがに二つの大会を股に掛けて講評しまくるのは、命懸けの荒行になりそうなので断念する)

果たしてどのような結末になるのであるか、今の段階では私自身も全然わからない。少なくとも誰かの参考になってプラスが得られれば本望である。出来るだけ短期間で全作講評である。