『「極」怖い話』
- 作者: 加藤一
- 出版社/メーカー: 竹書房
- 発売日: 2008/03/29
- メディア: 文庫
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残りの3つのパートについては、逆に「これから」を期待して良いような内容となっている。“現在進行形”であり、体験者自身が数多くの怪異に遭遇している(中には、既に他の作品で体験者として名前が挙がっている方もある)。これからもまだまだ掘り出すことが可能な鉱脈であると言っていいかもしれない。つまりこの本は、前シリーズのまとめであると同時に、新しい可能性の提示でもあるわけである。個人的には、何か独立し完成された作品というよりは、むしろ経過報告を聞かされている印象の方が強かった。この印象に関しては、それぞれのパートごとに作者である加藤氏本人がどのようにこれらの体験と向き合うことになってしまったかの経緯が置かれているために一層強く感じたのだろうとも思っている。ただし半端な怪談本とは比較にならないほど強烈な内容であることは保証しておきたい。
この本を読んで、『「超」怖い話』関係の作者の中で一番“厭系”怪談が強烈なのは加藤氏であると改めて思うこととなった。加藤氏といえば“心霊落語”などの柔らかいタッチの作風という固定観念があるが、こういう救いのない作品でも十分力が発揮できると密かに思っていた。勿論これは作者の性格の問題ではない。おそらく“怪異を記録する者”という自覚が他の怪談作家よりも強いが故に、また怪談として怪異を公開する段階で余計なカテゴリーを忍び込ますことを許さないが故に、救いのないエピソードをそのまま書き記すことを躊躇わないのだと思っている。全ての怪異が自己完結で終わるものではない。むしろどうしようもない結末で終わってしまうことの方が多いだろう。作者自身が適当なところで切らずに丸ごと出してしまえば、あるいは道徳的・人道的な配慮や、怪異や体験者に対する感情的な思い入れを排してしまえば、こういう救いようのない作品が生まれてくるのだと思う。怪異を記録することを突き詰めれば、いかに凄まじい現実であろうともそれを直視しなければならないということになる。酷薄な印象は拭えないが、記録(ドキュメンタリー)はそういう宿命を持って、その痛みを超えたところに成立するものなのである。