『恐怖箱 蛇苺』

恐怖箱 蛇苺 (竹書房文庫 HO 51)

恐怖箱 蛇苺 (竹書房文庫 HO 51)

一言でいえば“斬新”。非常に切れ味のいい文体で語られる怪異は、希少性の面から評価すると、かなりのレベルの作品ではないだろうか。正統派の怪談であることは間違いないが、ディテールの奇抜さ、意表を突く展開、どれをとっても「事実は小説より奇なり」の格言を想起させるだけの迫力を持っている。まずはネタの点で、読者の興味を鷲掴みといったところである。

筆者である三氏のスタイルの特長を最大公約数的に見ると、あまり強烈な自己主張をしない文体ということになるだろう。非常に冷静な筆致で“あったること”をできるだけ必要最小限に展開する手法は物足りなさもあるかもしれないが、このような不条理怪談のオンパレードの中にあって、強力な説得力を持つアイテムであると言えると思う。鋭利な剃刀のように怪異の本質を的確に抉り出す書きぶりは明快な描写と相まって、記録としての怪談を語る上でもなかなかスマートな印象を覚える。プロの作家と徹底的に比較すれば問題点はあるかもしれないが、“あったること”の記録としての伝達文章としては十分通用するだろう。その点で言えば、2008年大会のランカーも相当頑張ったと思うが、この三氏はその上を行くだけの能力を発揮したと断じても良いと思う。やはりそれなりの理由があって“選ばれた”者だということである。

三者三様の怪異の提示は素晴らしいと感じるが、とりわけ傑作と思ったのは深澤氏のラスト3作品である。端正な書きぶりに徹しようとしているのだが、それに対してあまりにも怪異のレベルが強烈、氏の筆の勢いの中に非常な迷いを感じた。ただそれは失敗というよりも、“あったること”そのもののスケールがあまりにも大きすぎるために体験者も記録者(筆者)も振り回されているというところに見える。それでも振り回されながら、その渦の中で筆者のもがきつつも怪異を捉えきろうとする意志が働き、作り物では得ることが難しい微妙なバランスを持った作品に仕上がったと思う。不完全ではあるが、これ以上を求めることが不可能であるが故に、完成された絶妙の記録と言うべきだろう。特に最終作はその雰囲気が圧巻であり、実験的な作品としても非常に価値のあるものである。あるいは新しい実話怪談の一手法の萌芽となりうる可能性を秘めた作品であると言うべきだろう。もし仮にこの作品が【超−1】に投下されていたならば、かなりの確率で満点を出していたかもしれない。最大級の讃辞と受け取っていただければと思う。

とにかく異質の怪異を味わいたいという読者は、絶対に手にとって精読すべき作品と言っておきたい。新人と侮るなかれ。あやかしの地平はまだまだ行き着く先を知らないのである。