『隣之怪 蔵の中』

隣之怪 蔵の中 (幽BOOKS)

隣之怪 蔵の中 (幽BOOKS)

ネタとしては、非常にレベルの高さを感じさせるものが多かった。全編にわたって類似のパターンを想起させる内容が比較的多いと感じるのであるが、それぞれの作品のディテール部分について考察を加えるならば、やはり希少性の高さを認めざるを得ない作品ばかりであると言えるだろう。前半部分にあたる恐怖の連続の怪異も非常に好編が並んでいるが、今作品では何と言っても表題以下の長編に興味深い内容がひしめいていると言える。少々強引なほどベタベタな展開であり、読む人にとっては多少鼻につくのではないかという内容なのであるが、逆にここまで悪びれることなく書き切っている分だけ、個人的にはすっかり良い気分にさせられてしまった。胸にグッと迫ってくるというよりも、霊的な存在を含めて全てが性善説的な温かみを持って描かれており、正直ホッとさせられるという感覚に近いものを持った。情け容赦ない冷淡な怪異もいいが、こういう怪談話も非常に捨てがたいというところである。無条件に作者の構成意図に感謝したい。

だが問題は、前作と同じ筆致の部分である。一人称、しかも老若男女を問わず“私”で統一された告白証言体の文章は、はっきり言って続けて読むには非常に苦痛であった。この文体が全然駄目だという風には思わないが、これだけ連続して読まされると、どうしても単調さと稚拙な印象からしんどさを覚えてしまう。いわゆる投稿型の文章を集めて作られる二見書房の『ナムコ』シリーズでも、ここまで文体の統一は徹底されていない(同じ告白文でも、自分の呼称が変わっていたり、体験者以外の人間が語るというような変化をつけて書かれている)。果たしてこのようなざっくりとした語り口調で延々と文章を書き連ねることに何らかの理念や目的があるのだろうか、これは贔屓目に見ても甚だ疑問が残る。これが例えば、癖の少ない端正な文体で書き継がれていたならば、おそらく文章を読む点でストレスが少なく、スムーズな展開という印象で好結果を生むかもしれない。だが紋切り型の語り口調は、いくらネタに対する興味が強烈であったとしても、読んでいるうちに鬱陶しさが前面に出てくる。

前作と比べると、この語り口調で書くのがベターだと思う作品が増えたことは確かであるが、中には語りにしたために持ち味が大きく損なわれたと感じる作品はまだあると言うところである(特に前半部分の恐怖譚にその傾向が強い)。全体的な評価としては、個性という名の我を押し通した結果、本来最も尊重されるべき怪異の本質を輝かせることに成功していないのではないだろうか。ネタの部分で十分勝負できているのであるから、敢えて素材を殺すことをしなくてもという気がしてならない。