『てのひら怪談』作品評の三

([か]2-1)てのひら怪談 (ポプラ文庫)

([か]2-1)てのひら怪談 (ポプラ文庫)

『ひどいところ』
韻文に近いスタイルを用いて、まさに主観の世界をこれでもかとばかりに展開させた作品である。ほとんど描写説明らしい文がなく、ただただ心象風景と言うべき内容が繰り広げられている。死者からのメッセージという体裁を取っているので怪談の範疇に入るが、実際はあまりにも主観に満ちた内容であるので怪異というよりも、死に至る心理描写を主とする内容であると言えるかもしれない。ある意味主人公の絶望感の象徴を読まされているとも言えるだろう。それだけ言いしれぬ哀しみを感じさせる作品であると思う。
夢に出てくる兄であるが、霊的存在であると解釈できると同時に、主人公自身が脳内で作り出した幻影であるとも言える。作品中にそれを示す決定的な記述がないのでどちらとも取れるのであるが、その曖昧さがこの作品の肝であると考える。この作品の主題は、夢に死んだ兄が現れる怪異ではなく、死への願望に引き込まれていこうとする主人公の心理である。あくまで兄の存在はきっかけに過ぎない。狭義の怪談であれば、兄の登場が夢の中ではなく実際のことであるように書く方向を選択するはずであるが、むしろ積極的に夢の中であることを強調している感がある。それ故作者の主眼が怪異ではなく、死への心理描写にあると判断できるのである。
「ひどいところ」と冒頭で言わせつつ、なぜか主人公がまもなく自ら命を絶つのではないかという想像が頭の中を駆けめぐった。やはり文調から滲み出てくる暗澹たる心象がそれだけ強烈ということになるのだろう。


『明け方に見た夢』
おそらくこの話は作者の実体験に基づくものであると推測する。いわゆる身内の死にまつわるエピソードであり、この手の話は実話怪談でなくとも、スピリチュアルな話題として往々にして取り上げられる内容である。とりあえず“よくある話”の典型例であると言っても差し支えないだろう。
この作品の場合、実話怪談と一線を画する部分があるとすれば、やはり曖昧然とした内容にあるだろう。時間的なズレを考えると、主人公が見た夢と父親の死との関連性は意外と弱いものに見える。そして最も問題視されるのは、母親の悲鳴の理由が全く明らかにされていない点である。実話怪談の世界であれば、母親の悲鳴について言及されていない段階で“取材不足”というレッテルが貼られてしまうことになるだろう。厳しい言い方になるが、実話怪談レベルでは凡作と判断される内容であると思う。
だがこれが怪談という広がりを見せると、これらの欠点が逆に評価の対象となるだろう。母の悲鳴の原因が言及されずに最後まで明らかにならないことは、却って父親の死にまつわる謎の部分として読者の想像力を大いに刺激する。実話怪談のようにその正体がはっきりと出ない分だけ、猛烈な引っ掛かりを感じてしまうのである。この曖昧な事実の提示は、ダイレクトなあやかしとは違った異様な雰囲気を作り出すことに成功している。どこまで作者がその効果を計算したかは分からないが、尾を引く嫌な後味が残る作品に仕上がっていると言えるだろう。


『兄』
これも実話に基づく内容だと推測。一つの霊現象に対して、複数の人間が別々のものとして知覚するという話は時折目にする。特に視覚に関する実話は多いが(同じものを見て、人間・発光体・煙と認識したなどの例)、聴覚に関する事例はあまりない。もし実体験であれば、なかなか希少価値も高い内容であるだろう。また声の主の正体が最後の段階で解明されるというのも珍しい部類に入ると思うし、その解釈にも無理がなく合理的であると思う。きれいに決まった怪談話である。
また800字の制限の中で要領よく内容がまとめられており、下手をすると声の聞こえる場面から兄弟喧嘩に至る部分でダラダラと展開しそうなところがしっかりと引き締まった感じで書かれており、力強く内容に引っ張り込まれた。さらにタイトルの『兄』が最後の部分で隠し味で効いており(ある意味二段構えのオチをつけている)、この部分でも非常に非凡なものを感じさせてくれた。
仮に実話の作品であるとすれば、実話怪談として発表しても十分通用するレベルであると言いたい。コンパクトにまとまった良作である。


『水遊び』
あやかしの本体が最後まで隠されており、そのために一つのストーリーでありながらどんどん変化する展開に良い意味で振り回されたという感想である。最初の女の子の登場では妖怪系のあやかし(水妖)ではないかと推測し、水遊びの段階ではいわゆる危ない人系の話ではないかと想像し、そして最後になってようやく主人公が死者であり、小川の正体が“三途の川”であることを理解することになる(女の子の水遊びがちょうど賽の河原の石積みを想起させるところも心憎い演出である)。おそらく作者自身がそのように最後まで巧妙に隠し通そうと意図していると考えられる分、見事に成功した内容であると言えるだろう。
淡々と流れるような前半部もなかなか好印象であるが、それよりも特筆すべきは最後の段落の内容である。作品の怪異の種明かしであると同時に、わずか一行程度の文で死者の魂が寂滅していく様を見事に表現している。魂が生前の思いを断ち切って成仏していく感覚とはまさにこのようなものだろうと思ってしまうほどの秀逸さである。この一文の存在だけで、この作品は読み応えの価値のあるものに仕上がっていると言っても差し支えないだろう。個人的には読み返せば読み返すほど味の出てくる作品という位置付けである。


『連れて行くわ』
この作品も実話物と判断すべき内容であるだろう。また展開の手法がまさに実話怪談の王道というべき伝聞記録の形式であり、コンパクトながらしっかりと起承転結を持ったオーソドックスな作りの作品でもある。手堅いという印象が真っ先に来た。
怪異の内容であるが、臨死体験と死者の世界の論理というべき内容が盛り込まれており、ありきたりと言えばそれまでであるが、むしろ「やはりそうなのか」という軽い驚きの方が強かった。祖母自身の臨死体験の部分はそれこそ有り余るほどの実例がある話であり、これだけでは怪異が真実であったとしても凡百のネタということで間違いなく埋もれてしまっていただろう。だがその後日談で、死んだ母親が継母の命を取って子供の辛い境遇を改善させるくだりは類例が少ないものの、実際にあった話として流布している内容である。しかも「しょうがないから、あっちを連れて行くわ」というストレートな言葉は、子を思う母親の偽らざる愛情と共に、無慈悲なまでに純粋な霊の思いの強さを改めて感じさせるものであった。非常にベタな展開であることは否めないが、それでもなおこの母親の言葉の強烈さは決して弱まることはないだろう。冷静にそしてあっさりと放たれる言葉だからこそ、ゾクリとさせるものを持っている。正統派の怪談話として評価したい。


『墓参り』
非常に渋い怪異というべき内容である。怪異そのものが最後の最後まで明らかにされず、しかもその怪異もうっかりすると単なる偶然レベルで片付けられてしまいそうなほど些細なものである。だが、少々芝居がかった展開や言い回しが気にはなるが、ほのかな余韻を残して終わる怪異の構築は、なかなか計算されたものであると言えるだろう。
一見R男伯父の望郷の念が引き起こした怪異であるとも取れるのであるが、むしろその裏にあるのは彼の母親である祖母の想いのように感じる。話者である私から見て“伯父”に当たる人物ということは父にとって兄であり、そして父が新しい一族の墓を作っていることから推測するならば、このR男伯父こそが長男であると判断して良い。その立場を考えると、勘当された身ではあるものの母にとっては可愛い息子。やはり息子が母の死を知ったというよりも、母が息子に自分の死を知らせたという印象の方が強いように感じる。さらに“父が苦労して作ったばかり”の墓に真っ先に伯父が入ってしまったことも、本人の意志以上に母親の意志というものを感じさせる。
さりげなく書かれた部分ではあるが、これらの表記があるからこそ、この小さな怪異の裏に潜む死者の念というものが浮かび上がってくるのである。当然、これらの裏読みがなくとも十分怪異としては成立しているのであるが、細部にまで目が行き届いていると言うべき作者の仕掛けは素晴らしいの一言である。