『てのひら怪談』作品評の六

([か]2-1)てのひら怪談 (ポプラ文庫)

([か]2-1)てのひら怪談 (ポプラ文庫)

『泣き石』
不思議な石の存在を巡る奇談と取れる作品であるが、その裏では現代的な家族の問題を明瞭に示していると言っていい内容である。家族の中で疎外されている父親(家族が出払った家の中で留守番する様子は、うだつの上がらない父親の典型的な姿であるとみなせるだろう)が息子の部屋で見つけた不思議な石は、息子の秘密の象徴である。またその石が納められていた机の抽斗の中に広がっていた“箱庭のような”小宇宙は、親ですら知らなかった息子の作り上げた世界そのものであると言っても間違いない。
明確な表記はないものの、息子の年齢はおそらく小学校の高学年、ちょうど思春期にさしかかろうかというところだと推測できる。“泣き石”が最初に出していた流水音の軽やかさは、ちょうどその年齢の子供の活発な動きに呼応していると考えられる。そして石がいきなり咆哮を上げるのは、秘密を知られてしまって荒れる息子の声であるとも取れるだろう。いずれにせよ、父親は息子の知られざる意外な側面を見てしまったのである。
石状のものの存在は、太古より魂そのもの、あるいは魂の宿る場所として認識されてきた。作者はそのイメージをふくらませてこの作品のモチーフとしたと推測するが、家族の抱える問題の中でその存在を寓意として展開させた点はなかなかの着想であると思う。嫌な雑味の少ない仕上がりで好感が持てるところである。


『淳くんの匣』
この作品で描かれている怪異は、全て幼馴染みの死を契機に主人公とその周囲に起こった内容である。
“短大へ通う”という言葉から連想されるのは主人公が若い女性であるということであり、彼女にとって2歳年上の淳くんは憧れの対象、言い換えれば思慕の情を伴って接してきた存在であると推測することは容易い。その彼が事故で失明、そしてそれが原因で死に至ることになる(直接的には書かれていないが、おそらく自死という形だったように思われる)。
そして彼女が淳くんの形見を持って帰ってから怪異が始まるわけであるが、大きく分ければ、実家の近所で葬式が増えたことと、形見分けでもらったオブジェに不思議なことが起こるようになったことの二点である。彼女の目を通して語られる怪異は、まさに淳くんの意志がこの世に残っているために起きていると言わんばかりの内容である。葬儀があった家庭については何も書かれていないが、読者はすぐにこれが淳くんの事故があった花火大会の関係者だと考えるだろう。そしてオブジェの流しの水や冷蔵庫の扉の怪異も、淳くんのなせる技であると推断するだろう。だが最後の一文の異様な表現によって、これらは彼女だけにとっての“事実”であり、実際には彼女の中で作られた虚構の怪異ではないかと想像できるのである。
おそらく彼女の精神は、淳くんの死の知らせを聞いた時から崩壊していたのかもしれない。前半部分の冷静な筆致は、実は感情を失った人間が紡ぎ出す言葉だったと受け取ることが出来る。客観的な怪異の内容よりもむしろ、思い人を失った女性の狂気こそがこの作品の主題なのではないだろうか。


木乃伊
全編に散りばめられた純和風のあやかしのパーツが寄せ木細工のように堅牢に組み合わされており、細部にまで作り込まれた感が強い作品である。意地悪な見方をすれば手垢にまみれた典型的な怪談話であるが、それでいながら非常に読み応えのあるオーソドックスな作りの作品であるとも言えるだろう。
旧家の蔵という環境もさることながら、祀られた木乃伊というアイテム、さらにはその木乃伊の出自が“巫女の家系で夭折した子供”であるという部分などは、伝奇小説の発端を想起させるほど心憎いツボを押さえきった着想であると言えるだろう(巫女の家系の子供の木乃伊が災厄を取り除くという民間伝承というのは残っているとは思えないのであるが、その言葉の持つイメージによってあまりにもしっくりとなじんでしまうところが、まさにこの作品の完成度の高さを示していると思う)。
ストーリーの展開についても、正直なところ、ほとんど予定調和的なものに終始している。また木箱の鎧板の隙間からしなびた目が覗いていたという場面も、実際考えるとそれが果たして予備知識のほとんどない子供に“目”であることが認識できる可能性が低いため、冷静に考えるとあり得ないシチュエーションである。しかしこのような瑕疵すらも、怪談として作り込まれたアイテムの氾濫の中では、むしろそれを活かすための方便として納得できると思う。
“怖い怪談話”としてはよく出来た部類に入るものであると言って間違いない作品である。


『出目金』
全作品中においても屈指のグロ怪談である。“出目金の目を指で潰す”という言葉をイメージするだけで十分嫌悪感を引っ張り出すことが出来ていると思うし、さらに“掌で身体を潰す”とくれば相当気持ち悪いシーンを想像してしまうだろう。このあたりの展開だけでも、怪談として成立していると言える。
しかしこの作品の上手いところは、そのようなグロの場面を持ち出しながらそのまま突っ走ることをせず、むしろそれを軸として非常にオーソドックスな因果応報譚で締め括ろうとしている点である。やった罪が業深いものであればあるほど応報の部分が際立つことが出来るわけだが、この短い字数制限の中で業深さを出す手法としてグロを選択したことは、なかなか面白い発想であると思う。また因果応報の起動装置である弟のリアクションも、単なる古典的なパターンでは出すことの出来ない濃密な負の感情を表すことに成功していると言えるだろう。ストーリーの展開は“因果応報”という、どちらかと言えばあっさりとした内容であるにもかかわらず、その動機の部分で現代的な過激な表現描写が採用されているため、独特の風味が醸し出されている作品だろう。個人的には、事故で死んだNの様子が克明に書き込まれていた方がより強烈な怪談に仕上がったのではないかと思うが、そのあたりは個人の嗜好ということで。


『煙猫』
主人公がいかに猫を可愛がっているのかがよく解る作品であると思うし、“猫の形をした煙がたなびく”というあやかしの現象も何とも言えない柔らかな印象が強い。動物ネタの癒し系怪談という印象が強くなる傾向の作品であると言ってもいいかもしれない。
だが、本来ならほのぼのとした情景で泣かせる方向で展開してもおかしくない内容にもかかわらず、それを全面的に否定しようとするベクトルが働いていることも事実である。各段落の最後に配置されている内容を取り上げると“飼っていた猫を安楽死させた”とか“両親は数年前に他界”とか“現在は焼却場や葬儀社にお願い”とか、あやかしの本筋とは全く関係ないにもかかわらず、冷え冷えとした言葉が並べられている。強烈な毒を持った言葉ではないにせよ、癒し系に流れそうな雰囲気に歯止めを掛けるだけの力を持つ言葉であることは間違いないだろう。実際、個人的な感想となるが、死んだ猫を埋める場面については悲しさや愛おしさの思いよりも、淡々と無機質に猫を埋めているという雰囲気の方が先に出てきてしまった。おそらく作者は意図的にこれらの言葉を挿入したと思うが、怪談とはまた違った薄気味悪い印象、まさに“死”に対するただならぬ固執ぶりを作り出すことが出来たと言うべきである。


『折り指』
自らの足の指を男のためにもぎ取って与えるというあり得ない光景であるが、しかしその寓意性の高さは見るべきものがある。
まず足指という部位そのものの持つ淫靡さが、男女二人の関係そのものを艶っぽく、さらには爛れたような気怠い雰囲気を生み出している。もがれた後の足を見つめる男とそれに気付いてスカートで隠す女の光景は、まさに二人の関係の絶妙な間合いを示していると言えるだろう。
さらに足指を口にして味わうという行為はエロティックなフェチズムそのものであり、これが発展的に展開して、口の中でしゃぶり尽くして嚥下していく様子はダイレクトにカニバリズムにも繋がるし、“女を食い物にする”ことそのものの寓意でもあるだろう。また指をもぎ取って与える女の側からの強烈な痛みの描写が少ない分(ただ無傷でもいられないという微妙な描写が異様な生々しさを醸し出しているわけだが)、読者は足指のイメージじっくり浸ることが出来る。そしてアブノーマルな世界を堪能し、そこに蠢く男女のあやしい関係を覗き見することになるのである。ここまで具象性と抽象性が混交されたエロティックな怪談はそうそうないと思う。
ただしこの作品は単純にエロ怪談ではなく、最後の段に語られる二人の関係と溜め込まれた足指の爪の存在によって、男女の業の深さを、そして男女の機微の不可思議さを描き出し、人間ドラマとしての奥の深さを出している。怪談の枠を超えた秀作であると言えるだろう。