『てのひら怪談』作品評の八

([か]2-1)てのひら怪談 (ポプラ文庫)

([か]2-1)てのひら怪談 (ポプラ文庫)

『怪談サイトの怪』
“言霊”という言葉がある通り、紡ぎ出された言葉は文字であろうと音声であろうと、それを発した人間の念を持つことがある。まさにこの作品に登場する怪作は、それを投稿した本人の念を十分に吸い取って出された内容であると推察するし、その念が作品を小馬鹿にする者に対して怪異を起こすという現象となって出てきたものであると考えられるだろう。一体どんな思いを秘めて書かれた作品なのだろうと想像すればするほど、何か複雑な恐怖感を覚えてしまう。
この作品の優れているところは、単純に一個人の体験では終わらずに、他の人間が同じ目に遭ってしまうという点である。特に実話怪談という記録性や信憑性を重要視する内容の場合、出来るだけ客観性を高める目的でこういう検証的な事実(科学的な検証実験まで行かなくとも、個人体験を補強する事実であればいいと思う)を加えることが常套手段となっている。実話怪談としてはなかなか手堅いオーソドックスな作りと言えるだろう。
ちなみに作者のプロフィールと公募サイトの内容から、私自身もおそらくこの問題の怪作を目にしているはずであるしケチョンケチョンに講評した可能性が高いのであるが、幸か不幸かそういう怪異に遭遇することはなかった。何となく複雑な気分である。


『よくある話』
実話怪談と銘打った作品の中には、あまりにも典型的なパターンになりすぎて却って嘘くさいと批判される内容のものがある。余りにも御都合主義すぎるとか予定調和的でありすぎるとか、中には劇的すぎて創作ではないかと疑われるような作品も散見する。この作品も、実話であると宣言した方が却って胡散臭い内容と弾じられる可能性を大いに持っていると言えるだろう。それほどベタベタな展開なのである。
この作品の面白い点は、いかにも素人が書きましたと言わんばかりの文体と構成である。最初の一文の言い訳などはまさに素人投稿の典型であり、またややくだけた口調で書かれた文体も洗練されていない分だけ妙な生々しさがあると言える。仮に流麗な文体でこれと同じ内容を書いたとしたら、間違いなく「ネタが貧弱」というレッテルを貼られるであろう。こういうものを書き慣れていない人間が書いているという印象があるからこそ嘘くささが緩和され、妙な緊迫感を持ったリアリティーを獲得できたのである。作者自身がどこまで意識したのか分からないが、よくある話という陳腐なイメージを、体験数が少ない人間が語るという希少さによって中和させることに成功したと断言できる。“実話怪談”と銘打たない大会だからこそ逆に成立するスタイルであると思うし(銘打った大会であればおそらく“作品”としての評価は得られないはずである)、作者がそこを狙って書いたのだとすればかなりの達者であるだろう。


足切り女』
ネット怪談というよりも、都市伝説として流布されているキャラクターが実在していたという、ホラーサスペンスに近い作りになっている作品である。“足切り女”という口裂け女とカシマさんをミックスしたようなキャラクターが非常に分かりやすく(良い意味でステレオタイプ的なチープさがある)、字数制限の中で読者にダイレクトにその存在をアピールできていると思う。この部分での成功が、作品全体の展開をスムーズ且つテンポ良くさせていると言えるだろう。
オチの部分のどんでん返しもなかなか小気味よく、この種の作品としては手堅いまとめ方であると思う。しかしながら、瑕疵とも言える部分があるのも事実である。ルームメイトとのやりとりの最後に“足を引きずる”のを聞いて“足が悪い”ということを主人公が気付くという表記があるのだが、“足切り女”という言葉との絡みから類推すると、勘のいい読者であればこのルームメイトがあやしいと思うのではないだろうか。謎解きめいた展開であるので作者が伏線として提示したのではと推測するが、余りにも大きなヒントになりすぎているように思う。むしろこの1行をラストに持ってくることで、“いないはずのルームメイト=足切り女”と一気に読者の想像力を刺激させた方がインパクトがあったように感じる。惜しい部分である。


『マユミ』
この作品もかなり手垢にまみれた感のあるストーリーである。最初は間違い電話、次に気の触れた人間や妄想系のストーカーの仕業と思わせておいて、徐々に超常現象ではないかという部分を開示していくことで怪談の方向に舵を切っていくという手法は、特に目新しい内容ではないだろう。これもよくある怪談話、場合によっては都市伝説として流布しているレベルの話である。
だがこの作品の秀逸なのは、短い文章でサクサクと展開させる筆力であり(下手な書き手に掛かってしまうと、締まりのない展開で読み手が途中でだらけてしまうことすらある)、そして最後の2行の意外な終わり方である。類例の多いパターンであればあるほど、意外なオチが用意されていることでのインパクトは強烈になる。「早く代わって下さいな」という言葉の主が電話の女かそれとも“マユミ”なのかが明確に書かれていないところ、そして“耳に吐息がかかったような”と曖昧な表記であるが故に、読者はどうとでも解釈できる深みにはまってしまう。この一続き2行の部分はまさに文字だからこそ可能なテクニックであり、読者に含みを持たせる余韻の強い提示を与える形でストーリーを終結させることで、薄気味悪い雰囲気をより鮮明にさせることに成功していると言えるだろう。明快な解答がないだけに、後々まで尾を引く嫌らしさがでてくるのである。


『電話』
この作品も、有名な都市伝説“リカちゃん(人形)電話”のストーリー展開を換骨奪胎させて作られており、よくある怪談話であるとも言える。しかし怪異の中心となるモチーフ部分のアイデアが卓抜であり、新しい恐怖感を生み出すことに成功している。それ故に陳腐な印象から完全に抜け出せていると思う。
この作品の一番興味深い点は、コンタクトをしてくる相手が“年輩の夫婦”という設定にしているところである。幼い子供の無邪気さが恐怖の源泉であるのと同じように、年輩者の少々とぼけた素朴な言動が恐怖を誘うケースもある。一見親切そうな物言いなのであるが、度を超して頑なにそれを繰り返すことで生じる薄気味悪い印象(さらに彼らがそれをニコニコしながら勧める様子とのギャップは強烈である)は、“老人=善人”のイメージの裏返しとしてインパクトを持つ。この作品でも、被害者であるはずの主人公が怒りの矛先を向けることが出来ずに呻吟しているのに対して、加害者であるはずの夫婦の方が怨みがましい言葉を出してきており、純朴で頑なな性格が事態をこじらせていく様子を丁寧に書いている。最後のメモ書きの部分は怪談話としてある意味“お約束”の内容で、それなりの効果はあると思うが、やはりそれまでに展開されてきた薄気味悪い印象があるからこそ生きてくるオチであると言えるだろう。悪意がないのが明白だからこそ、対処のしようがないところが恐怖なのである。


『浄霊中』
激しいドタバタはないものの、若手芸人が繰り広げるコントに近いシチュエーションの作品のように感じた。一言でいってしまえば“本来のイメージから遠くかけ離れたギャップを感じさせることで得られる笑い”ということになるかもしれない。
“浄霊”という言葉からイメージできる内容から大きく外れたシチュエーションが登場する。もし仮に設定が一軒家が集まる新興住宅地であったら、おそらくここまで突拍子のないというような印象は得られなかっただろう。集合住宅という人間関係が最も希薄だという印象がある場所で行われる“浄霊”だからこそ、変な違和感が残るのである。しかもマンションのメンテナンスよろしく執り行われているところに笑いのツボがある(“浄霊”という言葉そのもののだけを取り出せば、水回りや外装などの定期的な修繕作業と意味的に一緒に見えてくるから面白いのである)。それでいながら、浄霊を行っていると思しき人物の風体やあたりを漂う煙の存在はおどろおどろしい非日常的なオカルト世界そのものであり、本来あるべき姿も同時に提示することでギャップを印象付けていると言える。そのあたりはなかなか心憎い演出である。
全体としては奇抜な発想の勝利と言えるだろうし、また抑えの効いた文体で軽いタッチにならないように、そしてシュールな笑いだけで終わらないように工夫されていると感じるところである。