『てのひら怪談』作品評の十

([か]2-1)てのひら怪談 (ポプラ文庫)

([か]2-1)てのひら怪談 (ポプラ文庫)

『デッドヒート』
冒頭から最後の奇麗なオチまでしっかりとした描写によってストーリーが展開しているため、テンポ良く読める作品である。ただ怪談というよりはむしろショートストーリーの醍醐味を味わうような内容であり、幽霊が登場するものの心霊学的には少々強引に話を持っていっているという感はある。幽霊を追いかけるという話は別に違和感がないが、金縛りが解けた後に幽霊が走り去っていくという現象はあまり考えられず(幽霊にまつわる常識であれば“消える”というのが普通だろう)、また“金縛りの早解き”なる方法があったとしても幽霊が逃げ去るのに手間取ったり、追いつかれそうになったりするのはどうもピンと来ないわけである。さらに洗濯機に頭から突っ込んで消滅してしまうというのは、ビジュアルとしては面白いが果たしてどうなのかという気にもなる。
しかしながら、そのような頭の固い話を抜きにして一つの奇想小説として読めば、相当面白い内容であることは間違いない。ある意味アイデア勝負の部分も強いと思うし、それを活かすための描写や雰囲気が作られており、ちょっとした引っかかりがあるものの(あくまで個人的な心霊趣味によるものだが)、グイグイと作品の世界へ引きずり込まれていった。独自の世界観を持ち、それを読者にも共有させることのできる作品であると思う。


『テスト』
世の中には“魔の○○”と呼ばれるポイントがある。物理的な要因で事故が起きている場所も多いが、どう考えてもそれだけでは説明が付かない場所があることも事実である。この作品でもそのような種類の場所についての怪異が描かれており、しかもその真相が殺された子供の霊によるものではなく、“通り魔”と呼ばれる怪現象に由来しているとしているのは意外であった。人を狂わせる磁場のようなものが発生している場所が、集合住宅のような日常の中にポツンと待ちかまえている印象はやはりゾッとするものがあり、昨今の事件とだぶらせることでさらに怖さを覚えるところである。
だがそれ以上に恐ろしい事実は、どうして彼女がそのような“通り魔”のポイントを知り得たのかという疑念である。彼女の言動から読みとれるのは、彼女が自宅に友人を招く目的がこのポイントを確かめるためであり、決して遊び感覚でやっているわけではないのではという想像である。そして恐怖におののくぼくの肩を抱きかかえて囁く姿は、まるで全ての真相を悟りきっていることを示しているようにも見える。想像を逞しくすると、子供を投げ殺した“親切で真面目な父親”とは、実は彼女の父親だったのではないだろうか。それ故に娘である彼女は父の殺意を否認したくてその場に赴き、全てを知ってしまったのではないだろうか。そして彼女はその真実を確かめるために、不特定多数の人間を使ってテストをしているのではないだろうか。この作品のどこか陰鬱で後味の悪い印象は、実はテストの結果よりもその背景にある試験者の心理にあるのではないかと感じるところである。


『流れ』
実話の収集をしていて最も劇的な場面とは、接点を持っているとは思えない別ルートから全く同じ場所で起こった怪異の情報が飛び込んできた瞬間である。突拍子もないシチュエーションで、体験者自身も半信半疑だった内容が一気に真実味を帯びる瞬間である。この情報を得た時の喜びに勝るものはないと言ってもいいかもしれない。この作品はまさにその瞬間を描いたものであるが、酒場で怪異を語る女性に茶々を入れる男性の姿をワンクッション入れている部分がいかにもリアルな場面という印象を与えており、またその茶々を挟んで怪異の状況が書き込まれている構成も非常に好印象である。短い文章の中で劇的な場面を巧く再現できているように思う。
さらにこの作品が秀逸なのは、怪異そのものの内容である。はっきり言えば強烈なインパクトを残すような怪異ではなく、むしろ穏やかで下手をすれば夢幻の類で済まされるようなレベルのものである。だがそれが記憶の淵から甦り、鮮やかなものと化す瞬間のノスタルジックな感覚は得も言われぬ心地にさせてくれる。しかも昔に川だった道が未だに川の記憶を持って物を流していくという現象は、心に染み入る優しさのような雰囲気に満ちあふれており、幼少時の体験記憶として似つかわしい内容であるだろう。非常に良くまとまった好作品であると言える。


『おーい』
特定の場所に居着いた霊体がたまたま見えてしまい、しかもそれと“目が合って”しまったために恐ろしい目に遭ってしまったという展開。心霊体験ではよくあるパターンであることは間違いない。この作品の場合、最初から“シルエット”の状態で登場するためにあやかしであることが明瞭で、最後の高速で迫ってくる場面のインパクトは少々弱くなっているきらいはあるが、それでも同じ動作を繰り返している霊体の不気味さと目が合ってしまうまでの緊張感は良い感じである。
“見える人”の体験談を聞いていると、中には薄ぼんやりとしているだけの霊体もあるが、自分の存在に気付かれると猛然と近寄って危害を加えようとするものもかなりあると聞く。そのような体験では、襲われるところ以上に、やはり霊体と目が合う瞬間の緊迫感の方が怖いということらしい。特に無害そうに見えているやつが豹変するのが一番きついと言うから、この作品にあるタイプが最も強烈であるということになるだろう。もし作者にそのような素地があって書いていたら、それはそれで体験を下敷きにした好作品だと思う。もし全くの創作であれば、怪異の核心を突くことの出来る達者ということになるだろう。いずれにせよ、リアルな怪異譚と言うべきである。


『さんぽ』
霊体を目撃し、しかもそれを一緒に目撃している者も霊体であったという、典型的な二段落ちの怪談である。創作に限らず実話怪談でも結構よく見かけるパターンであり、読者を驚かせるオチの中では使い勝手の良い、しかもそこそこの効果が期待できる仕掛けである。ただ多用してしまうと陳腐さが目立ってしまい、面白味がなくなってしまう危険もある。この作品では、最初に話しかけてくるおばさんのキャラクターが立っており、しかも話しかけてきた内容が「見えてる?」というものなので、いかにもという部分が極力目立たないように作られている。その分だけ、最後におばさんが消えてしまうオチにインパクトが出ていると思う。心霊学的に見ても霊体が他の霊体を認識できないという事象は考えられるので、不思議な印象はあるものの、まんざら荒唐無稽な話ではないと言えるだろう。
黄昏時の何気ない日常の場面から一気に怪異が噴出する光景は、強烈さはなくともゾクリとさせる恐怖感が味わえる内容である。日常とほとんど変わりなく些細であればあるほど、嫌な尾の引き方をする怪異であるということである。


『踊る婆さん』
おそらく事実に基づいた作品であると思われるが、きちんと調えられた印象が強い作品である。人が死ぬ時に思いもよらない不思議なことが起こる場合があるが、死ぬ瞬間に近所でその人が踊り狂っているところが目撃されたというケースは決して珍しいものではない。この作品にあるように白装束であったり、中にはきらびやかな舞台衣装のようなものを身につけたり御幣を振り回したり、とにかく派手に踊りまくるらしい。
この手の話はどうしても早い段階でオチがばれてしまうことが多く、インパクト勝負の内容に仕立て上げるのは非常に難しいところである。むしろこの作品のように滋味あふれる落ち着いた雰囲気を醸し出すものにした方が良いように作用すると思う。気づきの場面での犬の様子などは結構面白い視点だったのではないだろうか。ただし親子の会話あたりで真相を隠すように引っ張っている印象もあり、個人的にはその部分が少々まどろっこしいと感じた。出来れば屋根で踊っていた老婆の様子なり、その時の状況なりをより詳しく書いてくれた方が、実話怪談読みとしては好印象であった。可もなく不可もなくといったところだろう。