【−5】記憶にございません

幼年期に“見える”能力があったが年と共にそれを失ってしまったというケースは、非常に多く報告されている。
これもそのパターンの王道であり、当の本人がその状況を全く覚えていないという平凡な話になっている。
さらにまずいことに“知らないおじさん”という情報しか残されておらず、これでは検証も何もあったものではない。
はっきり言えば、これでは実話怪談としての価値は全くない。
子供がそんなうそをつく可能性も低く、本当にあった怪異であると確信するのであるが、読者を前にして読むに耐えうるだけの内容にはなっていないのである。
もう少し具体的な情報がないと、ただ「いる」と言われても、それだけでは客観的な怪異の提示にはならない。
そして最後の部分において、書き手自身が信憑性の保証が全くない“思わせぶり”の事実を書いてしまっている。
家が残っているという事実は問題ないが、そこに男性が一人暮らししているという情報は、昔の記憶と並べることによって読者を誤った認識に誘導させる意図が明らかにあるだろう。
現在住んでいる男性と出現した幽霊とが同じ顔付きであることは記憶が甦らない限り絶対に確かめることができないわけで、それに対して思わせぶりな記述を付加させることは創作であれば許容範囲であるが、実話としては完全にアンフェアな行為に当たると思う。
個人的な意見としては、怪談として成立するのが困難な怪異にこじつけめいた情報を与えることで無理矢理それらしく体裁を整えた話という印象しか残らない(ただし嘘は全くないし、捏造であるとも指弾できない。だが事実と事実を組み合わせて別の意味を持たせようとした恣意的な態度は大問題であるだろう。とにかくこのようなパターンが容認されると、意味不明な因果話で溢れかえってしまうことになる)。
ネタの弱さも併せて、非常に厳しい評点を付けざるを得ない。