【+1】誰か来た

怪異について取材して文章を書き起こす時、怪異が発生したという報告が出てくることがよくある。
最近の怪談本ではまえがきかあとがきに編集中に起こった怪異を書かなければ、強烈な実話怪談本ではないと思われているような風潮があるぐらいである。
(ちなみに編集中に起こった怪異を実際に本の中で披露するパターンは、『「超」怖い話』をもって嚆矢とするのが定説である)
この話の場合、書き物をしている最中に背後から視線を感じる、そして機械の不具合で原稿がオジャンになるという2つの主要なパターンが同時に出てきている。
しかも視線を感じた後にドアノブを触ると人のぬくもりを感じるという、特別パターンも報告されている。
個人的には“ようやく【超−1】でも怪異が起こることが報告されるようになった”とやや感慨を持って読ませていただいた。
純粋に怪異としてもそこそこの希少性もあるし、小粒であることは間違いないが、それなりに評価できるだろう。
ただし文章がいわゆる“稲川調”であり、かなり軽い印象になってしまっている。
怪異の内容と比較するとそれほど違和感が生じないが、あの文体は稲川淳二という一人の個性によって完成されたものであるため、あまり多用しない方が無難という意見である(文章スタイルそのものが怪談仕様に適しているのはなく、“稲川淳二が語る”というフィルターが前提にあるから独特の雰囲気を持つのである。そのあたりを理解せず安直に語りのプロフェッショナルの口調を文体に写しても、難しいところがあると考える次第である)。