【−4】見る人、見ない人

怪談話に書き手や体験者の心霊観を挿入する、あるいはそれを主題として怪異を書くことは、あまり賛成ではないが、決して否定的ではない。
ただしそれを公開するためには、それだけ高いレベルの怪異を提示する必要があると思う。
要するに“あったること”だけを書くのでは不十分であり、その心霊観を読者に納得させるだけの理論に裏打ちされた体験内容を出してこなければ、結局書き手の意図は不発に終わってしまうことになる。
この作品の場合、書き手=体験者の心霊観は非常にありふれた内容であり、これ自体をメインとして話を展開させるためには余程強烈な体験談がないと読者を唸らせることは至難の業であるだろう。
“見える人ですら生身の人間と見間違えることがある”という主張であれば、その見える人本人がどれだけ見間違うほどリアルだったのかを書かなければ、到底話にはならないのである。
結局この作品に出した体験例では、目撃した霊がいかに生身に近いのかの描写が完全に欠けており、一般論をなぞっただけのサンプルでしかないと言えるだろう。
具体的な例は敢えて出さないが、もっとリアルな霊目撃あるいは体験でないと、理論の裏付けとはならない。
ただし“あったること”としての事例でこの体験を書いたとしても陳腐極まりないことは確かであり、いずれにせよ、この程度の怪異体験で作品をまとめること自体に問題があるというのが正直な意見である(特に“見える”と自称する者が出してくる内容としてはあまりにも程度が低すぎるだろう)。
残念ながら、小手先勝負の作品という印象しか残らなかった。