買った本2009.9

ここ最近のニュースは、何と言っても“緑風荘全焼”に尽きる。
旅館の建物が全焼という事態に、多くの人が「座敷童子がいなくなったのでは?」という意見を出しておられる様子だが、個人的には以下の理由から“座敷童子はいまだ健在”という考えである。
まず、緑風荘の座敷童子は経営者の御先祖に当たるとされている。一般的な“妖怪”としての座敷童子という性格付けもあるのだが、それよりもその前提として“先祖霊”としての位置付けがあって初めて成立している存在である。“妖怪”であればどちらと言えば“精霊”や“妖精”というイメージから来る“気まぐれさ”というキャラクターと結びつけることが容易であるが、それが一旦“先祖霊”というニュアンスが加わればいとも容易く家憑き霊の立場から離れることはまずないだろう。しかも神社まで建立して先祖霊として祀りあげているわけである。そう簡単に子孫の一族を見捨てるということはないはず。
そして何よりも、その祀られている神社が焼け残ったという事実である。中庭に祀られていたということだから、今回の火事の類焼は必至という立地であったにもかかわらず、それだけが焼け残っている。もし仮に座敷童子がその家を見捨てたとなれば、真っ先に自分が祀られているはずの祠や社を潰すという意思表示があってもおかしくない。やはり何らかの“見えざる手”が働いたのではないかと考えた方が妥当のように感じる事実である。
でも、なぜ神様が守っているはずの宿が火事で燃えたのか? 火災で家財が殆ど焼けてしまったことは間違いなく凶事である。しかしながら、今回の火事で緑風荘という宿が完全に閉鎖に追い込まれたかと言えば、それは現時点では定かではない。「座敷童子が去れば、その家は没落する」という伝承はあるが、果たして今回の火事の結果が没落に直結したのかを判断するには、わずか1週間という時間は短すぎる。おそらく検証には数年単位の時間経過が必要になると思う。それを思えば、軽々しく「座敷童子はいなくなった」という噂を流すのは早計であるし、むしろ風評被害の方が怖いと感じる。大禍を免れるために敢えて小禍を起こすことも考えられるのではないか。
個人的には再建の道を歩んで欲しいと願うばかりである。単に“座敷童子の出る宿”というだけではなく、一軒の宿として非常に印象深い想い出のある場所である。食事の時にお話しさせていただいた“リピーター”のご婦人の宿に対する印象や思いには心動かされるものがあったし、何より食事そのものも素朴だが思わず「美味いわ!」と呟かせたほど。風呂も気分良く入ることができたし、別に“槐の間”でなくても十分堪能できる宿だった(午前2時にパッチリ目が覚めて、しっかりと“探検”させていただいたし)。貴重な伝承物件が消えてしまったのは残念ではあるが、宿が再開したら時間をおかずに再訪したいと考えているというのが、現在の心境である。


さて、話が長くなったが、9月になってやや発刊数は減少傾向。まあ、夏が過ぎてパタリと怪奇本が出なくなった一昔前と比べれば、至福の時間はまだ続いているという感じである。
百鬼夜行の世界』
『謎の未確認生物UMAミステリー』
『怪談 FINAL EDITION』
『恐怖箱 女郎花』
『遠野奇談』
学校の怪談 百円のビデオ』
『妖怪バイブル』
『京都・魔界への招待』
というより、蔵書リストじゃなくて、今回は緑風荘のことばかりのエントリーになってしまった印象。