今年のマイ・レギュレーション

また今年も始まった【超−1】であるが、昨年のエントリー通り、また講評者として参加する。
講評する前に、恒例のレギュレーションを公開しておく。
この自らの縛りについては、最後まで遵守することになる。

・配点について
例年通り平均が0点、良しとする作品にはプラス、駄目だと思えばマイナス点を“容赦なく”付ける。
これは、今後商業誌に名を連ねることになるかもしれない応募者に対して、一つでも良い物を書いてもらいたいと願うからである。しかし、どの作品が誰の作品であるか判らないために、いわゆる“自分の体験を吐き出す”だけが目的の応募者の作品に対しても全く手を抜かずに突っ込むことになる。その目的で書かれた方には申し訳ないが、明日のためにこらえていただきたい。
ちなみに配点基準であるが、+6は後世に名が残るだろうレジェンドクラスの作品と認める作品にだけ付けることにしている。だからよほどのことでなければ付けないし、付けるからには自分のプライドを懸けて推すことにしている(この4年間で付けた作品数は0)。ただし絶対に付けないと宣言することは、今回は避けたい。逆にマイナス点はバンバン付ける。上に挙げたように上質の怪談を読みたいから、傷の多い作品は選別されて然るべきだという意思表示である。しかし、マイナスを付けただけで放置することはしないし、そういう作品の中に“原石”を見出すことも多いので、なぜマイナスをつけたのかの理由説明はさせていただきたい。それが講評者の応募者に対するエチケットであると思う。
大雑把に言えば、+3以上が付けば良作、−3以下であれば問題有りの印象だということで理解されたし。

・公開ブログ及び講評名について
今年から“年ごとに新しいブログと名前で講評してくれ”ということらしいが、これには敢えて従わないことにしたい。
主催者側の変更理由については質疑の掲示板で確認して、一理あるという意見である。昨年の【超−1】終了後に「来年は休みたい」という旨の発言をしたのだが、実はその裏で「名前も文章スタイルも全て変えて、コメント講評者になってやろう」という欲深い魂胆があった。何年も同じスタイルで続けていく弊害を、昨年の段階で嫌というほど感じたためである。でもメガネっ娘女子高生に化ける方がよっぽど難しいことを悟った次第。
こちらが変更理由に従わない理由は、
“ブログや名前を変えたとしても、自分の講評目的を考えると、現在の講評スタイルを変えることができないし、それが出来ないならば何をしても特定される可能性が高すぎる”
に尽きる。特定化を恐れて講評スタイルを変えるべく感想程度しか書かなくなってしまうことは、私としては本末転倒の結果に堕してしまうことになる。つまるところ、私にとって“講評を書く”という作業は、己の怪談哲学の全てをさらけ出して書き手と対峙することにほかならないのだということ。その部分がなければ存在意義がないと言い切ってもよい。クリエーターの業は全て作品に集約されるが、レビュアーの業は全て署名に集約される、と大見得を切っておきたい。
さらに言えば、作品を投稿した本人に参考にして欲しいと渾身の力で書いているのだから、講評者を納得させてその感想に影響を与えることになるのは百も承知である(もし誰にも顧みられないような、毒にも薬にもならないレベルの講評しか書かないのであれば、わざわざ身を削ってまで参加する必要性もないと思っている)。ただ以前から何度も言っているように、私の評価が絶対ということは絶対にあり得ないし、イの一番に発言して流れを意図的に作ってやろうという気も全然ない。
本当は主催者側の要求に対して応えるのが参加者としての最低限度のマナーだと思うのだが、今回だけはそれを曲げさせていただきたい。ご寛恕の程を。

・最信任講評者賞について
【超−1】に参加している理由は、当然のことながら“金”のためではない。
この場に真剣勝負の怪談が集まってきているから、その中に身を置いて自分に出来ることを嬉々としてやっているだけである。だから何かの見返りをもらおうとか、そういう二次的な利益を目的とはしないことが信条である。
今回講評者にも賞金が懸けられたことで、個人的には少々憮然としている。しかし、こういう賞が設けられた以上は当然それを狙うし(狙わなければ書き手の支持を得られる講評にはならない)、逃げも隠れもせず堂々とそれを宣言したい。近々に登録させていただくことにする。


既に6作も投稿されているが、私の講評作業は明日からスタートとしたい。
これからは場外乱闘にも加わらず、淡々と作業にのみ没頭。文句がある時は最後にまとめてぶちまける予定である。
最後に、今年の講評の目標は「投稿者に夢と希望を与える」こと、ただし、はかない夢やあわい希望ではない。それ故に受け取る側にも覚悟していただきたい。
では、怪談の神の意のままに、共に闘わんことを。