『異聞フラグメント 切断』

異聞フラグメント 切断 (恐怖文庫)

異聞フラグメント 切断 (恐怖文庫)

FKBシリーズの第3弾であるが、前作の黒木あるじ氏の『震』が実話怪談の新たな地平線を見出す存在であるのであれば、この『切断』は実話怪談のさらなる進化系であると断じておかしくないと思っている。
“異聞フラグメント”という呼称であるが、これは松村氏の造語であり、以前の著作の中でも使用しているものである。今回、この造語を著作名に盛り込んだことで、作者自身が思うところの強さを感じるところであるし、またある程度自信を持って公に出せるだけのコンセプトに昇華させたのだと想像する。個人的には“フラグメント(断章)”という概念提示にこそ、実話怪談の進化系と賞賛しうる部分があると見ている。
あとがきにあるように、実際的な怪異体験のほとんどは刹那のものである。勿論こってりとした因果の塊のような怪異も存在するが、それは限られた条件が満たされてこそ成り立つものであり、ごく普通に生活している人間ではそう容易く体験できるものではない。むしろ一般人が怪異と絡むのは、ほんの一瞬、下手をすれば気のせいと受け止められて終わってしまうような出来事が多いと言えるだろう。因果律もなければ、連続性もない、本当に意味のない瞬間的な邂逅以外の何ものでもない事実でしかないのである。
しかし、このような断片的な体験談を掻き集めるだけでは著書にはならないこともまた事実である。断片は単純な記録でしかなく、そこにまとめ役としての作者の意図がなければ、やはり“怪談”という名を冠することは難しい。結局、この種の怪異体験談は“投げっぱなし怪談”であるとか“○○二題”とかいうジャンルの、小ネタとして挟み込むしか手段がなかったわけである。
“異聞フラグメント”の構造は、“○○二題”という形式、いわゆる“○○尽くし”と似通っている。しかし、後者の形式の本質は、そこで取り上げられた怪異のコントラストにあると言える。しかしフラグメントは個々の怪異もさることながら、並べられた怪異譚全体を通して、さらにその奥深いところに潜む闇に焦点が当てられていると言えよう。怪異の華々しさで読者の目を奪うのではなく、並べられた怪異が連鎖反応を起こしてさらなる恐怖、しかも非常に陰湿なものを想起させるのである。それはまさに因果のない部分に因果を見出す作業であり、これによって断片的な怪異が有機的な繋がりを持ち、その恐怖を増幅させるのである。本作中“フラグメント”の表題を持つ作品が4つあるが、いずれも羅列だけでは終わらない不気味さを醸し出している(しかも4作とも不気味さのパターンが異なる)と言えるだろう。
この“フラグメント”の様式を最大限に駆使したのが、最終作の「切断」である。もしかすると、この作品で集められた怪異は実は全く関連性のないものばかりかもしれない。おそらく、ここに登場する体験談がそれぞれ単立した状態で公開されたならば、全てが本当に取るに足らないレベルの話になっているのは明らかである。だが、それらが1つのキーワードによって整然と並べられることによって、読者は自動的にすべてを一本の糸で繋ぎ合わせようとする。そしてそこにあらゆる怪異譚を呑み込んだ巨大な闇の存在を認知するのである。創作でもこの様式を活かすことは出来るとは思うが、そこに作者自身の目的や意図が見え透いていて、あざとさばかりが目立つことになるだろう。全てが取材によって構成されているという前提が存在するからこそ、この微妙な因果の糸が見え隠れしている状態のリアル感に打ち震えるのである。
さらに言えば、この「切断」は今までの“伝播怪談”の強烈なアンチテーゼともなっている。ネタバレになるのであまり書かないが、神の視座にあるべき存在が伝播の渦に巻き込まれた時、残されるのは読者だけという状態に晒されることを改めて感じ取った次第である。
全体としてもネタが非常に良く、どこから読んでも極上の恐怖譚が味わえると言えるだろう。強いて言えば、松村氏特有の熱っぽいウエットな作風を持つものが1つなりでも入っていれば、個人的には大満足であったのだが。