『風呂場』

風呂場に現れた奇妙なあやかしの動きが手に取るように分かる文章もさることながら、そのあやかしに遭遇した兄妹の言動に凄くリアリティーを感じる。あやかしに対して恐怖一辺倒ではなく、現状からいかに脱出するかを必死に考えている緊迫感、あやかしの術中にはまるように自制心を失っていきそうになる状況、そして勇気を振り絞ってあやかしに対峙する様子、そういう体験者の心理的な動きが克明に書かれているため、短い作品ではあるが非常に読み応えがあった。
恐怖を主眼として書かれる怪談であるが、実際そのような怪異に遭遇した場合に“怖い”気持ちが感情の全てを支配するのであるのかと問われると、果たしてその通りであるとは言い難いだろう。おそらく恐怖が感情の全てを支配する状況に至れば、人間は正気を失って記憶が飛んでしまうことになるだろう。即ち、怪異そのものすら覚えていない、自分がどのような立ち居振る舞いをしたのかすら分からないことになってしまうはずである。体験者が怪異を記憶し、それを語ることが出来るということは、僅かばかりの理性が働いているとみなしてもいいかもしれない。この作品において体験者の言動がリアリティーがあると評するのは、恐怖一色で感情が色塗られているのではなく、遭遇している怪異に対して一片の理性を持ち合わせ、何とかしなければならないと思い続けている部分にあると言える。もっと端的に言えば、怪異体験のさなかに、書き手は“怖い”という言葉を使っていない、ただ“逃げたい”という感情を前面に押し出している。あやかしが危害を加えそうな雰囲気を持たなかったせいもあるが、それでもなお、ありきたりな感情表現を避けた記述を施した書き手は高く評価されるべきだと思う。
ある意味“怪異を通して人を描く”怪談の好適な例であると言ってもいいだろう。小粒な怪異体験であるが、作品の完成度から鑑みれば、佳作である。
【+3】