『足だけ』

怪異としては非常に小粒であり、友人の死と重ね合わせることで辛うじて他者に読ませるだけの内容になっているという印象である。仮に足の出現だけであれば、いくら微に入り細に入る表現であったとしても、一般に公開するレベルではなかったと思う。
かなり細かな描写まで書いているように見える作品であるが、しかしよく読んでみると、一番肝心な部分の表現においてかなりあやしい部分が見えてしまう。この奇怪な足の正体が友人のものであると気付く理由が“独特の歩き方”という一言だけで済まされているのである。足の持ち主が友人であることは、この話において最も重要なカギである。そのカギに当たる部分が具象性に欠ける書き方、しかも書き手の友人の体験談であるわけなので、その部分に説得力のある描写説明がないとしっくりこないのである。よほどの理由があって書くことが躊躇われるの事情があれば致し方ないが、やはりどうしても取材不足の感は否めないと思う。逆にこの歩き方の特徴を明示していれば、読者にも間違いなく友人であると思わせることが出来、スムーズな展開が出来たのではないだろうか。
そして一番首を傾げたのは、友人の死因である心不全と足だけが出現した怪異とを結びつけようとした、体験者のコメントをそのまま乗せてしまったことである。上半身が見えなかったからその部分に死の原因があるという考え方は、いささか強引であるが、決して全否定されるものではない。しかし、この怪異の場合、どうしても体験者の思い込みや後付けの理由というようにしか受け取ることが出来ない。体験者自身のコメントが“あったること”そのものの怪異にとって必要であるかどうかは、時と場合によるとしか言いようがない。ただこの作品の場合には完全に蛇足であり、むしろそのような解釈を全く出さずに、友人の死の瞬間と足の目撃の時間がほぼ一致していたのではないかというニュアンスを醸し出すだけの方が、体験者の友人に対する想いは強く出たのではないかと思う。
結局のところ、些細な怪異を殊更に引っ張りすぎて、却って味わいを失ってしまった感が強い。かといって“あったること”だけでまとめてしまうと、身も蓋もないほど薄っぺらで怪異の醍醐味を感じるに至らない内容であるとも思う。怪異のみで勝負する場では、あまり出すべきではなかったというのが、正直な意見である。
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