『牛鶏鼠』

冒頭と末尾の部分を読むと、おそらく書き手は『学校の怪談』よろしく畜産高校で起きた怪異を列挙して、一つのまとまった怪異譚を組み上げようとしたと考える。しかし、表記の部分で舌足らずと思われる部分が多いため、非常に中途半端な内容になってしまっている。
都市伝説の代表パターンである『学校の怪談』を成立させているコンセプトは、複数の体験者や目撃者がいるという前提で作り上げられた噂が世代を越えて集められたもの、ということになるだろう。それが果たして真実かは脇に置いて、まことしやかに継承される怪しい話でなければ“怪談”として成立しないという意見である。それを考えると、この作品で取り上げられた3つの怪異の中で要件を満たしているのは、最後の“鼠”にまつわる話だけである。このエピソードだけは、体験者の在籍時とは異なる時代に起きた事件が発端となり、さらに特殊な条件下で起こる噂、しかも客観的に言って誰もが目撃しうる内容でもある。それ故にこのエピソードは都市伝説としては有効であるとみなすべきである。
それに対して“牛”と“鶏”のエピソードは、表記の範囲で読む限りでは、体験者である橋本くんだけにしか見えていない内容としか受け取ることが出来ない。これでは、いくら学校内で起こった怪異であったとしても『学校の怪談』というカテゴリーに入れるのは難しい。あくまで学校という場所で起こった個人的な怪異体験に過ぎないのである。その点で、この3つの内容を並べた意図が成功しているようには考えられないのである。(もしこの2つの怪異についても複数の証言が記載されているのであれば、橋本くんの個人体験だけが具体的に書かれてあっても、『学校の怪談』カテゴリーを含む作品ということで、見方が変わったことは付け加えておきたい)
さらにまずいのは“鼠”のエピソードだけは、逆に橋本くんの個人的体験であるという流れになっていないのである。こちらはひたすら“あったること”を説明的に表現しているだけで、上の2つと比べると、体験者自身の行動であるような書き方になっていない。まさしく『学校の怪談』の典型的な紹介の仕方にのっとった書き方になっているのである。つまり3つのエピソードを配置した書き手の意図が杜撰で、全く不発に終わっていると言わざるを得ないわけである。それぞれの怪異も或る意味小粒で、希少性の面でも高く評価出来ないため、構成の雑さだけが際立ってしまった感がする。
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