『「五」から始まる』

怪異の希少性と連鎖の強烈さ、さらには因果関係の明瞭さを考え合わせると、相当なレベルの内容であると判断したい。どのような因果によって「五」という数字が選ばれたのかは判らないが、ただその数を忠実に守って展開される子供達の死の連鎖は、かなり大ネタに近いという感触である。しかしながらこれだけの強烈な内容であるにもかかわらず、表現の仕方の部分で大きく損をしていると言える。
一番の問題点は、この話の提供者が祖母の思い出話を小耳に挟んだ程度のところから始まって、結局最後までその情報を説明的に列挙しただけで終わってしまってところである。一応聞いた話を正確に時系列的に並べて書いているのは良いのであるが、どうしても平板な印象しか残らない。要するに「臨場感」がなく、連鎖する怪異に対する恐怖に満ち溢れたリアクションが実に貧弱なのである。それ故に、体験者(祖母)をはじめとする当時の人々の不安感や恐怖感が、まるで他人事のように希薄なのである。立て続けに5人の死者を出すほどの強烈な体験である。しかも祖母にとっては自分の命に関わるかもしれないという緊迫感もあるわけである。そのような「怪談」の醍醐味である部分がサラッとした説明でほとんど留められてしまっている。怪異のレベルが並大抵のものではないだけに、この印象のギャップは相当マイナスイメージであると言わなければならない。
この手の強烈な大ネタ級の怪異を文章で綴る場合、体験者自身の視点から克明な感情表現を交えて、時系列的に「ストーリー」を展開させた方が、怪異に見合うだけの迫力を生み出すという意見である。それを思うと、極力感情を抑制した、第三者主導の説明調の文体をセレクトしたのは、書き手が怪異の次元を見誤ったのではないかという印象も受ける。
さらにこれを助長させているのが、タイトルである。まさに怪異の衝撃度と驚愕度を考慮すれば、決してタイトルの段階でネタバレさせてはならない内容である。結局この怪異の肝が冒頭に提示されているために、「五」という数字による因果の連鎖が本文中で明かされても、何の感興も湧くことがなかった。或る意味、怪異の持つ強烈さを完全に殺してしまったと言ってもおかしくない。やはり怪異の本質を外しているという印象である。
その他にも、5人の死者の具体的な死の状況が意図的に省略されていたり(少なくとも彼ら全員の死が「五」とどこで関わりがあったかを書かないと、本当に連鎖が5人に及んでいたのかという疑念も湧いてしまう)、話の提供者である三池くんのコメントの能天気ぶりなど、とにかく故意に怪異の本質から遠ざかろうとしているのではないかと、穿った見方をしてしまいたくなるほどのずれっぷりである。これでは折角の希少な怪異を埋もれさせるだけの残念な作品と言わねばならないだろう。怪異のネタとしては大きくプラス評価なのであるが、それを無惨にもねじ曲げてしまった書き方である故に、トータルではマイナス評価とせざるを得ないということで。怪異の起こった当時の状況だけを時系列的に書いていれば十分な怪異譚となっていただけに、一読者として悔しい限りである。
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