【+2】解決法

“見える”人であることをカミングアウトして怪異譚を書くと、嫌がられるという傾向がある。
だが、それは“見える”という特殊な能力(本人はそれによって精神的な傷を負っているのであるが、怪談ジャンキーにとってはある意味羨望の対象でもある)ということをひけらかしているように見えることが往々にしてあるためである。
だがこの作品ではむしろ“見える”ことを早い段階で明確に書かなかったので、却って読者が混乱してしまった。
“見える”人達の体験談は、一種の選民思想に根ざしていると読めれば嫌悪の対象となるが、その能力が足枷となっていることを訴える内容であれば、あまりに気にならず多くの者が受け入れると思う。
特にこの作品では、体験者が相当苦しんでいることがよく分かる。
だからこそ包み隠さずに“見える”ことを出しても良かったと思うし、もっと凄まじい体験を提示した方が感情移入できた部分が大きかったと思う。
“見える”という言葉は、そのものがNGでは決してない。
この作品のように“見える”人でなければ分からない体験は是非とも読みたいと思うし、そのような内容であればこの言葉が出てきても間違いなく拒否反応は起こらないと思う。
カラーコンタクトなら見えなくなるという話は記憶はないし、どういうメカニズムが生じているのか興味津々である。
その“見えない”ぶりを示すためにも、通常どのようなものが見えるのかを書いた方が話は引き立つだろう。
体験者の感情そっちのけで速射砲のように質問したいことが次々湧いて出るほど、マニア垂涎の現象報告である。
文章的にはあまりにも婉曲的すぎてインパクトを感じないが、ネタの希少性を考慮に入れて、それなりの評をさせていただいた。