【−5】とふとふ

初めの雰囲気は良かったのだが、怪異とおぼしきものが始まってからはどんどん恐怖感が薄れてしまった。
原因は作者の言葉の選び方にあると感じた。
怪異の音が外からであることを書いてから、体験者が「強風で何かがぶつかっているのだ、と思い込む」のでは拍子抜けだし、その後「すんなりと眠りに落ちた」と続けば、やはり怪異ではなかったと読者も気が緩んでしまう。
さらに翌日「気にしないことにしよう」と決め、それから「変事が起こったら連絡してほしいと頼んでおいたが、今のところ便りはない」で締めくくられれば、作者が必死で怪異の存在を打ち消しているようにすら見えてくる。
怪異である可能性をことごとく否定し、さらにこの現象が一回性のものであるように書かれていては、さすがにこれを怪異であると読者が認定しようがないのである。
その日家族全員が怪しい物音を聞いている点が怪異という節もあるが、それこそ風で物が当たっている物理現象だからこそ全員の聴覚を刺激したと考えた方が妥当であろう。
結論から言えば、体験者が最初に感じた通り、これは完全なる思い込みであると断じた方がごく自然である。
本当にあやかしの仕業であれば、たった1回きりであるはずもなく、何度も体験者の耳に届いていることだろう。
またあやかしの活動に気付かなくなっているとしても、これはこれで泡沫的な怪談話に堕することになる。
とにかく体験者の側から見れば何も起こっていないのだから、これでは怪談話として成立しようがない。
いずれにせよ、この後の展開がどのようになろうとも、この作品の価値はこの作品内で決着を付けるのが筋である。
最初の雰囲気が良かった分だけ辛うじて最低得点にはしなかった。
怖くない怪談を実験的に作り出すのは構わないが、怖いはずの怪談をそのようなものに変えることは断じて許されるべきものではないと言える。