【+1】見てみんしゃい

体験者以外にも同じ体験をした人間がいるにもかかわらず、それらの情報を具体的に提示しない。
それよりも体験者自身の遭遇情報についても非常にぼかした形で書かれている。
作者が書き落としたというよりも、わざと書かないことによる効果を狙っていると感じた。
言うならば“記録性を捨てた”ということになるだろう。
具体的な詳細を書くことは怪談話の場合、リアルさの獲得、真実性の説得という目的を達成させるために必要な条件である。
この重要なファクターを捨てることによって、作者はこの作品の持つ情緒を優先させたと思う。
夕暮れの浜辺にたたずむ男の後ろからポンと肩を叩くおばちゃんという、何か気持ちがホッとする光景だけを抽出することで、作者は和みの怪談を書こうとしたのではないだろうか。
だから最後の一文にある「見せたいもの」の選択肢には禍々しいものが含まれておらず、良い雰囲気の余韻が残ったと思う。
仮に徹底的に怪異に関する情報(起こった場所や時間帯、体験者以外の目撃者の証言比較など)を書き込んでいったとしたら、多分怪談としては成立するだろうが、あやかしの薄気味悪い部分が強調されてしまって単なる“不条理怪談”で終わってしまった可能性がある。
どちらの方が良いかはこの作品の場合難しい判断になると思うが、一定程度作者の意図は達成できていると言えるだろう。
ただし、いずれにせよ怪異のネタ自体が小粒なので、好評価までは至らず。