【−3】トンネル

作品そのものの講評の前に【パクリ判定】に関するコメントを。
私がこの大会の講評を始めて1週間ほどした頃、講評を全て変えて評点もかなりいじったことがある(今でもこのブログ内に変更前の講評が残っております)。
その中で評点を大幅に変えた作品があるが、その理由が“酷似したネタであるが故の減点を極力やらない”という方針転換である。
要するに【ネタのパクリは現行犯でないと糾弾できない】という考えに従うことにしたわけだ。
怪談界の某大御所と以前、ネタかぶり(故意・偶然を問わず)の話をどうやってオミットするかについて語り合ったことがあるが、大御所曰く「綿密に過去に出された話を調べているが、本が出回った後から同じ話だったことに気付くこともある」ということである。
私自身も多分万単位の話を読破していると思うが、全ての内容を網羅してチェックすることは不可能であると感じている。
自分の出来ないことを他人、しかもプロフェッショナルでない人に課することはやはり出来ない。
他にも、酷似した現象が起こりうる確率を否定できない、体験者の採話がかぶってしまった、などの可能性もあるわけで、はっきりと断定するだけの証拠がない限り糾弾は出来ないという意見に傾いている。
(表記や構成のパクリは、明瞭に目に見える形で提示されているもので判断できるので、こちらのパクリについては突っ込んでも良いと思っている)


さてこの作品であるが、怪異に関してかなり問題があると感じた。
常識的に考えると、車の運転中に雨が降ったと認識するのは当然“フロントガラスに水滴がつく”である。
彼女はトンネル内で雨が降り出したと主張するが、よく考えてみると、果たしてトンネルをどれだけの時間で通過するのであろうか。
テキストを見ると、100メートル足らずのトンネルであり、そこをゆっくりと車で走ったとある。
これを元に時間を割り出してみると、時速30キロで走ったとすれば、100メートルのトンネルならば12秒で通過できる。
それに対して雨の降り始めを考えてみると、10秒足らずでフロントガラスに水滴がビッシリとつくような雨が降るということは夕立以外では考えられず、多分水滴が数滴つくのが関の山であるだろう(というより、運転手がフロントガラス一面に水滴が付くのに気付かないはずがないだろう)。
トンネル内で水滴が落ちてくることは稀なことではない。
結局、彼女がトンネル内で降り始めたと思ったのは、フロントガラスにたまたま付いた水滴を見て、そしてトンネルを出ると雨が降っていたからで、そのように認識したと見た方が自然であるだろう。
パクリ云々以前に、体験者の錯覚である可能性が出てきてしまった以上、やはりマイナス評価とするしかないだろう。
(パクリ元ネタと目される話では“雨音”がキーになっているが、ここでは一言も触れていないから上のような解釈の方が妥当だと思う。でも自動車の運転中ならば、雨音よりも先にフロントガラスの方が分かるでしょう)