【−2】夢に非ず

いわゆる“投げっぱなし怪談”であり、怪異そのものも非常に興味あることは確かなのであるが、“単独の作品”として講評することになってくると評価は大幅に下がってしまう。
純粋に怪異にだけを取り上げれば、希少性は相当高いと思うし、実際に家中の時計が逆回転するなどという話は記憶にない。
それ故に、逆回転している時計のスピードであるとか、実際の時刻とどれだけずれているのであるとか、アナログだけでなくデジタル時計も逆回転していたのであるとか、その後時計は元に戻ったのかあるいは壊れてしまったのかなど、とにかくありとあらゆる疑問が湧いてくる。
つまりあまりにも希少で強烈なインパクトであるために、読者の興味は逆回転の事実以上に、その時の状況やその後のことに集まってくるのである。
その部分に対する回答がなければ、この作品は“単独の作品”としての価値を失ってしまうのである。
付け加えるならば、“投げっぱなし”で済まされない要因として挙げられるのは、この怪異が“機械”によるものだという事実である。
例えば、テレビのスイッチが勝手に点いたり消えたりしたら、真っ先に思うのは、機械の故障である。
この怪異でも、たとえ家中の時計が逆回転に時を刻んでいたとしても、機械だから何かの故障が原因なのではないかという疑念が間違いなく頭の片隅にあると思う。
この部分の意識の差が、とんでもないあやかしと遭遇しただけの事実を“投げっぱなし”で書くのと大きく異なるという意見である。
ただし、この作品が1冊の本の中で然るべき配列(例えば、強烈な大ネタやグロ系怪談の直後など)で収められていたならば、印象は大きく変わっていたと思うし、プラス評点になっていた可能性も捨てきれない。
一言でいえば、凄く惜しい作品ということになるだろう。