【0】空気の塊

この作品は非常に評価が難しい。
空気の塊を見ている体験者も、そしてその話を聞いた体験者も、どちらも小学校低学年の年齢であり、証言そのものの説得力に難点がある。
その最たるものが“空気の塊が逃げ出したりパチンと割れちゃう様な人は死んじゃう人”という法則性が、結局病院内での体験で導き出されている部分である。
体験者からすれば、これはまさに聞き及んだ“あったること”=事実であるのだが、これが正しい判断であるかは“何人か”では確認のしようがないのである。
つまりこの作品の場合、体験者の“主観”が大きく入り込んで事実が語られている状態なのである。
しかし、それが成人の体験であれば“恣意的”として簡単に斥けることが可能であるが、年端もいかない子供の体験談となると、主観的といって排除する対応が非常に難しいのである。
おそらくこの作品も、もうこれ以上体験者から聞き出せる情報はないと推測する。
だがどうしても読者が知りたいというパーツが欠けているのも事実である。
結局、完全ではないのだが完成された作品という評価であり、客観的な“あったること”が書かれた作品としては評価は厳しいということになるだろう。
“空気の塊”という表現には希少性も感じる代わりに描写としての具体性に欠けるおそれもある、というのがこの作品の全てなのかもしれない。