【−1】懺悔

猫にまつわる怪異は、故意であろうが偶然あろうが、命を奪ったとみなした相手を執念深く追い回して祟るというのが定説である(路傍で死んでいる猫に対して手を合わすようなことをするなという俗説は、手を合わす者=加害者と猫がみなしてしまうところから来ているとさえ言われている)。
それに比べれば、この作品に出てくる怪異は非常にソフトというか、石をぶつけた体験者の家の前で息絶えるほどの怨みを持ちながら、あまりにも淡泊という印象である。
このあっさりとした怪異に対して、体験者の倫理的な責任感の重さが強烈すぎるために、何か道徳的な教訓話を読まされているという雰囲気に陥ってしまった。
つまり、予定調和的な因果律が全てを支配する話、御都合主義的な発想によって積み上げられた話のように感じるのである。
ただ道徳的な教訓が怪談の中にあり、それを主題として語ることに反対するつもりはない。
この作品の場合一番強く感じたことは、実は体験者は懺悔しているのだが、その裏で怪異が過去のもの、つまりもう自分は猫の祟りから完全に脱し切れているのだという安堵感をどこかに感じながら語っているように受けるのである。
詰まるところ、この作品の場合、起こった怪異が猫の祟りとしてあまりにも弱いところに、ありったけの付随するものを付け加えてしまったために非常に白々しい話にしか見えなくなってしまっているのである。
言い方は悪いが、この猫と同じように片目を失うぐらいの強烈の報いでないと、本当に懺悔していないのではないかという気持ちがつきまとうのである。
いっそのことお題目を全て排除して“あったること”だけに絞り込んで書いた方がすっきりとしたのではないだろうか。
マイナス評価は、怪談として弱さを感じてしまったため、余計なものが付きすぎて怪異の本質が埋もれてしまったということで。