【+2】雪桜

押しつけがましい優しさとは一線を画した、非常に情緒的な作品であると思う。
怪異らしい怪異は前妻の姿を桜の木の下に認めたという、下手をすると幻覚ではないかという気にもさせられるような実に微小なものである。
だが、この怪談作品は怪異そのものを示すために書かれたものではなく、深い因果の下に体験者が得たものをしっかりと残すことに目的があるとみなせるため、怪異の内容に対してあれこれと口を挟んで不満を述べる必要はないだろう。
むしろ怪異の弱さを指摘することは、却ってこの些細なあやかしの本質を見誤る危険すらあると感じる。
“怪を通して人を表す”ことも怪談(当然実話怪談も含む全ての“怪談”である)の妙味というものである。
ただ逆に大きくプラス評価としなかった点は、最後の部分で体験者の解釈を書いてしまったところにある。
この解釈が間違っているという指摘ではなく、誰もが認めるような解釈をわざわざ体験者に語らせるという野暮はいただけないだろうという点である。
情緒的な作品である以上、余韻を崩すことだけは絶対に避けなければならないと思うし、書き手自身も情緒的な何かを維持しながら書き続けていたにもかかわらず、なぜかこの部分だけ言い訳めいたかのような書き方になってしまっている。
色眼鏡で体験者の半生と併せて考えると、どうしても「罪滅ぼしが出来た!」という独善的な満足感のようにすら見えてしまう恐さがある。
“季節外れの花びら”という言葉で結ぶだけで、このエピソードに関わってきた全ての人の思いは読者に通じたはずである。
それ以外は然るべきところに落ち着けた、良い作品であると思う。