【−3】魅入られて

書き手の構成の仕方がまずいために、せっかくの怪異譚となるべきものが別方向の内容になってしまったと言える。
火を見て一種の昂奮状態に陥ることは、かなりの数の人間に見られる心理状態である。
またその高揚した心理を自分でコントロールできないような、いわゆる精神的な病理状態になってしまう人間もまれにいることも事実である。
それ故に、体験者の“火を見て昂奮する”心理が霊の憑依によるものかどうかの判断が非常に微妙なものになっている。
体験者が異常なまでの衝動に駆られる状況は理解できるのだが、それと父親が火事場で見た兄の姿とを直線で結びつける工夫が作品において明確に出来ていないのである。
一番の原因は、書き手が体験者の異常心理の方にばかり焦点を当てすぎて、父親の見た怪異を単なる付加的な存在としてしか扱っていないためである。
それが顕著に出ているのは、父親が怪異について語った後にも、体験者の異常な心理について細々と書いてしまったところ。
異常心理の原因が霊の憑依ではないかという示唆で終わっていればそれなりの説得力を持っていたかもしれないが、その指摘に後にも同じ状況が続けば(しかも対処法としてお祓いもしていないわけである)、結局憑依説はただの憶測に過ぎないとしかみえないだろう。
つまり、憑依によって異常心理に陥ったと読者に思い込ませるような書き方になっていないのである(それどころか、作品内における扱いが小さいために、怪異そのものがあたかも幻覚のようにすら感じてしまうほど煤けてしまっている)。
さらにそれを助長するのが、最後のエピソードである。
こういう書き方をしてしまうと、憑依現象というよりは、ほぼ間違いなく体験者自身の狂気のようにしか見えない(さらに言うと、こういう場面設定ではあまりにもあざとすぎて、創作臭さすら漂う)。
思わずハッとさせられる心理描写があるだけに、少々強引にでも怪異と異常心理との因果関係を構築させる必要性があったと思う。
厳しい言い方になるが、怪異がない作品ではなく、書き手自身が怪異を潰してしまった作品だと言えるだろう。