【+2】母子断絶

結論から言うと、この作品は“罰当たり系”怪談の身内バージョンという判断である。
それ故に、体験者の人格についてあれこれ非難すること自体無意味であり、そのレベルでこの作品を読んでも怪談としての面白味は得られないだろうと思う。
今までの“罰当たり系”怪談のパターンは、体験者自身が墓荒らしなどで霊に対して失礼極まりない行為を繰り返したためにその復讐を受けたという、因果関係としては勧善懲悪的な構図が明確であったので、読者もその予定調和的な世界観に快哉をあげていたわけである。
当然、体験者に対して誰も同情もしないし、むしろ酷い目に遭えば遭うほど読者は溜飲を下げ、その不幸を目の当たりにして道徳的満足感を得ていたのである。
しかしその罰当たりの対象が身内、しかも生身に人間に向けられた時、構図は陰惨そのものになってしまう。
体験者が罰当たりであればあるほど身内は傷つき、そして加害者であるはずの体験者自身が被害者にすり替わってしまう。
身内の中で起こる連鎖を誰も止めることも出来ず、怪異が続く限りただひたすら不快感だけが募っていく構図。
個人的の感想はやはり「不愉快」の一言に尽きるのであるが、だが一つの怪談作品として評価するとなれば話は別である。
体験者はいろいろな解釈を施しているが、おそらく彼女の一人娘は“亡くなった母親の生まれ変わり”であるとみなすことが出来るし、体験者自身も実は薄々それを感じ取っているのではないかと想像する。
そして漫然と事態の推移を傍観している状況こそが、実は緩やかな因果応報への歩みになっているのではないだろうか。
体験者は既に、誰にも止めることの出来ない負のスパイラルの中にはまりこみ、カタストロフィーに向かって堕ちていっているように見える。
結末こそ書いていないが、最後まで墓参りにも行かないだろうし、おそらく自らが母親に対しておこなった行為とほぼ同じ報いを受けることになるだろう。
それが予見できるからこそ“罰当たり系”のカテゴリーに入ると判断したわけである。
ただ惜しいのは、書き手がここまで強烈な陰惨さを強調できていない、ただ“あったること”をなぞっただけという印象を持った。
“あったること”の先にあるもっと深い業を見通さないと、この怪異は活きてこないと思ったし、書き手自身がこの作品を公開した覚悟というものも見えてこないと感じた。
体験者を“浅はかでダメな人間”というキャラクターにしか仕上げられなかったところは書き手の不備とみなして減点とするが、全体としては希少な怪異譚ということでプラス評価とさせていただいた。
血も涙もない言い方になるが、このような奇麗事で済まされないような作品も“実話怪談”の王道なのである。