【−1】真夜中の光

作品全編から「信じてくれよ」という体験者の叫びみたいなものが噴き出しており、却って雰囲気を壊している。
信じてもらいたい、寝ぼけていたわけではないという主張を書いてでもわかって欲しいという気持ちは理解できるが、ここまで書いてしまうと逆に胡散臭いという印象の方が強くなるし、また“あったること”としての怪異の流れを寸断しまくって読みづらくしているだけのものに成り下がってしまっている。
要するに、こういう弁明めいた言葉も体験者の主観丸出しの内容となってしまい、作品全体の印象を悪くするだけだということである。
怪異自体も、体験者が感じているように、非常に些細なものである。
そのためにまた言を尽くして見間違いでも錯覚でもないと説明を始めてしまい、このあたりも心情的には理解できるが、結局のところ無駄な言葉を使って読者を退屈させてしまっていると言えるだろう。
どれだけつまらない怪異であったとしても、作品として公開するのであれば、ゴチャゴチャとした言い訳を書く必要はないのである。
言い訳を書けば書くほど、講釈をすればするほど、読者はその部分に書き手の自信のなさを見出す。
自信のなさは即ち怪異の信憑性を自ら否定することに繋がる。
創作であればこういう書き方もテクニックとして通用するが、実話怪談の場合は“あったること”が前提で成り立っている以上、「本当にあったことだ」とか「見間違いじゃない」と主張するのは却って不自然さを生み出すだけだろう。
淡々と事実だけ書けば、少なくともマイナス評価にはならないだけの不思議な話であっただけに、残念。