著者別短評の五

No.23
各月末に3作の投稿。この書き手も猛烈な饒舌体である。しかもこのタイプによくある、饒舌だが肝心の部分はスッポリと落ちてしまっているという構成になっている。いずれの作品も体験者の語りの部分をもっと減らす、あるいはゴチャゴチャした展開をすっきりさせることが出来れば、確実に評価の高い作品になっていたことは間違いない。怪異の肝から逆算して、どこに焦点を当てて書けばいいのかをしっかりと計算した上で、スピーディーな展開になるよう心掛けることが肝要かと思う。投稿前にまだ未読の第三者に一読してもらうのが一番良い修正方法になるだろう。

No.24
最終盤を中心に6作の投稿。怪しい雰囲気を醸し出すことが出来る文章はなかなか達者であるという印象である。しかしその雰囲気に完全に怪異が負けてしまっている。特に悪いのは文章に乗っかかり、怪異の目撃そのもののディテールがしっかりと書き込まれておらず、全く雰囲気先行の内容になってしまった作品が多かった(“間宮君シリーズ”はそれの典型)。実話怪談の中心は何と言っても“あったること”としての怪異であり、いくらアトモスが優れていても、その核心部分が漠とした状態(結局目撃だけで終わってしまっている)では弱いという印象しか残らない。ネタ次第では非常に鮮烈なものが書けそうなので、今後に期待。

No.25
1作のみの投稿につき、特に語ることなし。

No.26
2作のみの投稿につき、特に語ることなし。

No.27
3月上旬に3作の投稿。この書き手の場合、全ては書き方の拙さに集約されると言っても過言ではない。伝聞体形式がいかに“実話怪談を書く”行為とそぐわないかを雄弁に語っている、悪い例にしかなっていない。特に最後の投稿作『気配』は伝聞体以外にも目を覆いたくなるほどの酷い内容が山積しているという有り様で、かなり厳しいとしか言い表す言葉が見つからない。この大会に投稿するレベルとしてはかなり力不足ということに尽きるだろう。

No.28
1作のみの投稿につき、特に語ることなし。

No.29
締め切り直前に12作の投稿。言い訳めいた講釈、主観的な分析解釈、そして体験者としての“自分語り”をやってしまったために、とにかく鼻につくの一言である。同定された作品群を読む限りでは、書き手自身がかなり不思議な体験をしていることが見えてくるが、それでもやはり“あったること”に徹して書いた方が見映えがする。やはり“自分語り”は主観の悪弊にはまりやすいし、また“見える人”特有の選民意識の表れとも誤解されるし、何と言っても読者に怪異の本質を掴ませる楽しみを奪ってしまっている。最終盤ということで評点もバッサリとやってしまう時期だったせいもあるが、体験者=書き手が大きく出しゃばっている作品に対してはどうしても興醒めという結果になってしまったところもあると言えるだろう。

No.30
1作のみの投稿につき、特に語ることなし。