【+1】縁

「霊とは、非常にまどろっこしい意思表示をするものである」と言ったのは新倉イワオ氏だったような記憶があるが、この作品でもどういう理由からか解らないが、まさに明後日の方向から唐突に発生した怪異であり、不条理な心霊現象の典型例であるといって間違いない。
ところがこの作品は結果的に、最後の部分で余計な筆を使ってしまったために、怪異の本質に迫る勢いが途中で失速したと言わざるを得ない。
“あったること”で連続する怪異を表現しているところは非常に迫力もあり、つぶさに怪異体験を描写しようとする書き手の力がこもっていると感じる(その怪異に至るまでの住人同士のやりとりは、逆に力が入りすぎて冗長になりすぎている感もあるが)。
ところが、この怪異の中心である老人の正体が分かり、さらにその怪異の目的が判然としたところで終えるべきだったのに、そこから後日談で暴走族の話が入ってきたために、話自体が抹香臭い因果応報譚に変わってしまった。
ただしこの暴走族の怪我の程度も判らないし、本当にその死亡事故を起こしたのかというのも噂の域を出ないように軽く扱われてしまっており、強烈な因果応報の図式になり切れていないし、そもそも因果応報譚に仕上げる必然性が感じられない。
結局最後で憶測だけの物言いになって、尻すぼみしてしまったという印象が強いわけである。
仮に、住人達の掃除の場面で終わっていれば、この怪異は相当きついものであると感じるところが強くなるだろう(全く縁もゆかりもない人間に怪異を見せつけて、行動をさせているのであるから)。
しかも心霊体験そのものが強烈であり、特に住人達が怪異に気付いていく場面は少々しつこさを感じるが、勢いのある分だけ読み応えがあったように思う。
全体としては怪異を活かしきれず、逆に不確定的な因果の輪にはめ込んでしまうことで矮小化させてしまったと判断して、高評価までに至らずということである。