【−1】山

体験談としてはそこそこ面白いと思う内容なのであるが、最後に語られる体験者の解釈を出してしまったために、作品として非常に稚拙な印象を持ってしまった。
神仏分離が断行されたのは明治に入ってからのことであり、それまでは神道と仏教とが渾然一体となって信仰されるのがごく普通の状態で数百年以上継続されてきている事実がある。
つまり仏壇と神棚が一緒にある方が日本人の信仰の歴史としては長く、それを“適当”と作品中で語らせることは、このような神霊に対する書き手の無知ぶりを自らひけらかしているようなものである。
体験者自身がこの習俗的信仰を奇異に感じて、自らの体験と重ね合わせてコメントしたり解釈したりすることは、特に問題視する必要はない。
だが、書き手がそれを鵜呑みにして作品中に書くことは、“書き手”というフィルターが正常に機能していない、つまり体験そのものの信憑性を潰しかねない状況であると言えるのである。
この作品の場合で言えば、神仏混淆の信仰が山で起こった怪異の原因であると体験者が思っている節があるわけだが、そのあたりの歴史的背景を知っている人間からすれば、体験者の発想は全くの“誤解”であり、誤解と受け取るが故にその事実自体も眉唾物という印象を持ってしまうのである。
極論すれば、ある科学法則を間違って記憶していて、その誤った法則から導き出した結論が事実と合致しても、誰もそれを認めるわけにはいかないのに似た問題が生じるということである。
特にこの作品の場合、最後に取って付けたエピソードというよりも、明らかに怪異そのものの原因というニュアンスで語られており、その事実誤認は、読む人によっては相当引っ掛かる内容になっていると言えるだろう。
怪異を取り扱う書き手がその世界の周辺の基礎知識に欠けているのがばれてしまうと、正直失望するし、その書かれた内容にまで疑いの目で見てしまうことになる。
ただしこの解釈そのものが成立しないと怪異が成り立たないというわけではなく、怪異そのものは“あったること”としてあるので、大幅な減点とはしなかった(もし商業誌でこんな記述がなされていたら、おそらくその作家に対する評価は問題外となることは必至であるが)。