【0】流れ星

ペガサス(本当は角の生えたものはないとされるが)の目撃談は非常に希少と言わざるを得ない。
ある意味信憑性において非常に際どい目撃談となるのであるが、ディテールの部分の描写などに具体性があるという判断をして、実話として実際に“あったること”と認めてよいものと思う。
ただ問題は、後半部の目撃談以降の展開である。
まさにこの部分は“自分語り”の極み、自分の見たものの合理的な解釈をしようと一生懸命になっているのであるが、やればやるほど胡散臭さが出てしまっている。
客観的に見てペガサスの目撃と関連性があるとは思えない体験を、無理に繋げようとしているようにしか見えない。
しかも、そこには具体性のある怪異体験の記述はほとんどなく、ただ自分の生き様の整合性をペガサスとの出会いに集約しようとする意図だけが見えている。
非常に厳しい言い方だが、超常体験をした人間が、その体験を心の拠り所として生きる自らの姿に陶酔している、いわゆる“神秘体験者の選民思想”に近いものすら感じるのである。
昨今のスピリチュアルかぶれの本であれば、こういう体験と生き様が滔々と書かれてあったとしても、読者もそういうものを求めているからきっと共感を覚えて読んでくれるものと思う。
だが、実話怪談としての次元で言えば、後半の“思い込み”(敢えて言わせていただく)は逆に胡散臭さを覚えるものでしかなく、全く評価の出来ないものである。
怪談、特に“実話怪談”と呼ばれるものは事実の積み重ねの記録という側面の強いものであり、“あったること”をしっかりと書くことで読み手の支持を得られるというものである。
前半の体験があまりにも劇的で信憑性もあると判断して読んでいただけに、非常に残念な結末であるとしか言いようがない次第である。
前半のプラス評価と後半のマイナス評価で相殺ということで、総合的にはプラスマイナスゼロという評点とさせていただいた。