【−6】千鳥が丘公園

結論から言ってしまえば、怪異と呼べるだけの内容が全くないということである。
残念なことに、千鳥が丘公園に関する怪情報を確認したことはなく、また火葬場跡地であるから必ず怪異が起こるというものでもない(それを言いだしたら、過去の歴史を紐解いて人が死んでいないと断言できる場所などないわけである)。
体験者が怪異であると認識する根拠であるが、これらも残念ながら怪異ではない可能性の方が非常に高い内容であると言えるだろう。
まず“心霊写真”はいわゆるオーブであり、書かれている内容だけでは心霊写真と断定できるだけのものになっていない(特に野外の撮影なので、オーブ状のものが写る条件はかなり高いと言える)。
また計画変更は土木関係ではよくあることと聞くし、これも内容的にどこまで異常事態であるかを判断する材料がないので、合理的な説明内で収まる可能性が高いと推測する。
そして“思考力の低下”についても、やりたくない仕事と捉えて出来るだけ考えたくないと無意識に思ってしまうことによって説明が付いてしまうかもしれない。
結局、これらの内容が怪異であると主張しても、それを裏付ける根拠が文章内にはなく、また合理的な説明が出来てしまう内容ばかりということになってしまう。
マッサージ店と霊能者のエピソードについては、ある程度神霊的要素が含まれていると判断するが、ただしこれが“千鳥が丘公園”そのものと関係するかと問われると、保留せざるを得ないところである。
つまり、マッサージ店でも“千鳥が丘公園”の話をしようとして止められているが、それは店長の手首のしびれが原因であって、決して“千鳥が丘公園”の話が原因であるとは言いきれないし、霊能者のエピソードも体験者自身の問題であって“千鳥が丘公園”という具体的な名称が出てきているようには見えない。
さらにその後の会社の問題や病気についてはある程度解決できているわけであり、これを霊障とみなすこと自体ナンセンスであると言ってもおかしくない(この程度で霊障云々を言われたら、生きている人間全てが霊障に苛まれていると言えるだろう)。
非常に厳しい言い方になるが、冒頭部分の“煽り”から胡散臭さ全開で、己の不幸を霊的な存在のせいにして嘆いているだけの、ある種自己陶酔の産物に過ぎないと断じておきたい。
さらに言えば、心霊スポットとして流布していない実在の名称を出すなど、実話怪談を書く上の最低限度の“マナー”も守れないレベルということで、最低評価も然るべきと言うべきかもしれない。