【−2】蹴ったもの

前半で、体験者の認知した感覚についてしっかりと書いているにもかかわらず、最後でその感覚を根本からひっくり返すような表記をしている点で、大きな違和感を覚えた。
実際に体験者はそのあやかしと思しき存在に触れているわけで、それが最も説得力のある怪異体験であるにもかかわらず、最終的にその場にいあわせたこともないような友人の言葉を鵜呑みにしている。
もし仮に体験者の語る内容の中で明らかな誤解があり、それを第三者が指摘するという流れであれば、この展開はしっかりとしたものになっていただろう。
しかし、これだけ体験者が認識した内容が書かれながら、その全てを覆すような“他人”の証言が真実を突いているという展開には、その起こった出来事に対する信憑性を書き手自らが否定しているようなものである。
“怪談”の結末としては、友人が語った内容こそがインパクトを与えるものであることには間違いないのであるが、それを裏付ける根拠が前半部分でない限り、結局“思い込み”で喋っているのと全く同じことになってしまう。
結局のところ、憶測が勝ってしまっており、“あったること”としての目撃譚としても非常に弱いと言うしかない。
友人の憶測を省いて“あったること”だけを表記した内容であれば、強烈ではないにせよ誰もが納得できる怪異譚に仕上がったのではないだろうか。
正直なことを書けば、生首だけがそんなに動くような怪異には、“見える人”でない者がそうめったやたらに遭遇することはないということだけを強調しておきたい。
過剰な解釈がない方が、自然な展開をキープできた怪異証言として評価できたかもしれない。