『ひとつ屋根の下』

怪異とされている内容が小さな物音であり、まずその点で信憑性についての疑念が生じてしまった。事細かに様々な可能性を書いては否定するという手法で、音が単なる思い過ごしではないと明らかにすることには成功している。しかしその音の出所については特に徹底的に調べ上げたわけではなく、結局、西田さんとの関連性にいきなり辿り着いてそれで自己解決してしまっている。要するに本当はただの家鳴りだった可能性は十分にあるわけである。
しかも西田さんとの関連性については、まさに体験者の思い込み以外の何ものでもなく、確証と言うべきものは一切ない。問題の音が鳴っている時にふと思い出しただけ、後は勝手に生霊であると言いだして、何かよく分かったような分からないような調べものをして勝手に確信に近いものを感じだして、最終的に「がんばって」と勝手に応援する。まさに独り相撲のような展開である。厳しい言い方になるが、怪異について何一つ読み手を納得させる客観的な要素は見出せないわけである。
体験者がとある出来事をきっかけにある人のことを気にし始め、いろいろと事情を探り、最終的に近しい気持ちを持つことには何の異論もない。しかし怪異に関する客観的な物証なり、関係性を強烈に匂わせるだけの事柄がないようでは、それは怪談ではない。ただの“いい話”に過ぎないのである。さらに言えば、冒頭の緊迫感のあるセリフがそれ以降全くストーリーに絡んでこないため、仰々しいばかりのお話という印象で終わってしまった。
この物音が怪異ではないと完全に断定も出来ないので、最低評価は避けさせていただいたが、怪談としての体裁は限りなくゼロであるという意見である。著名な怪談本を読んで、怪談の持つアトモスをもっと感じ取る必要性はあると思う。
【−5】