『無縁墓』

一人称独白体の最も悪い部分が出てしまったというのが、結論である。
怪異の体験としては、無縁墓を探検して突発的な体調不良に襲われ、お地蔵さんに助けを求めて無事帰還できたという内容である。問題なのは、これらの体験が全て主観の産物であると指摘されて反論が出来ないレベルのものであること、つまり誰もが怪異が起こっていたと納得できる証拠が全くないのである。しかもこの怪異が起こっている場面を目撃した第三者もいない。怪異を捏造しているとまでは言わないが、このような主観的な判断のみで怪異を成り立たせる内容にものを、一人称独白体の文章スタイルで書き上げた時の印象は、まさにリアリティーの欠如以外の何ものでもないと言ってもいいだろう。最悪の印象となれば“ただの思い込み”というレッテルを貼られても文句は言えないと思う。少なくともこの内容であれば、信憑性を獲得するためにもっと客観的な視点で書かないといけなかったはずである。
さらに言えば、表記の部分で非常に幼稚なものが散見されるために、ここでもリアリティーや信憑性の点で、書き手自らがそれを損なわせているとしか思えないことをやってしまっている。「です・ます調」もその代表格であるが、それ以外にも例えば「ぞぞぞぞぞぞぞぞ 鳥肌がとまらない! キーンと耳鳴りも酷い!」という表記は文字化してしまうと、どうしても子供向けの印象は免れない。ジュブナイルの作品であれば、こういうのは共感を呼ぶかもしれないが、大人対象が原則である大会でこの表記は白けるどころか噴飯物であるとしか言い様がない。
おそらくこの文章を朗読するなりして、語りで処理したならば、違った印象になっていただろうと思う。要するに、語りのレベルであれば勢いとか声色によって演出することで、怖さを引き出せる余地があると想像できる。しかしこれを文字でそのまま移植してしまえば、迫力もなく、却って稚拙な誇張やこけおどしのレベルにしか見えない。やはり文字から受ける印象と語りの印象とでは、大きく異なる部分があるということになる。
怪異に対する客観的な裏付け(この無縁墓や地蔵にまつわる伝承や噂でもいいだろう)が提示され、なおかつ一人称独白の語り口調を改めれば、まだ評価できる内容になっていたかもしれない。書き手自身がその書き方によって怪異そのものの価値を貶めるようなことをしているようでは、全く評価できないと言われても致し方ないだろう。
【−5】