『白い犬』

全体的な印象から、この作品は“怪を通して人を描く”タイプの怪談であると言える。かいつまんで言えば“不思議な犬の様子を見に行ったら、そこに骨が散らばっていたので哀れに思って丁寧に埋めた”という内容であるが、そこに体験者の心情を織り込むことで、いわゆる感動を伴う怪異譚に仕上がっていると見ていいだろう。間違いなく書き手もそれを意図してストーリーを展開させているものと受け止めることが出来る。
だが、その意図とは違うものが見え隠れしているために、展開そのものがかなり強引であると感じるところが強いのである。犬の様子がおかしいと感じて積極的に行動するのは主人公であり、その犬の霊の健気さに心打たれる展開は、ある意味自然な流れとして感動を覚えるものである。しかし、友人が主人公と共にしみじみと手を合わせ感慨に耽る場面は、それまでの態度から想像できるものではないと思うのである。主人公に犬の存在を尋ねられた時に、1週間近く微動だにしない犬の姿を見ていぶかしくは思っているものの、無関心に限りなく近い態度であることが文章から分かる。この素っ気ない態度が、いきなり最後の場面では主人公と同じように悲しみに満ち溢れているように見えるのには、非常に違和感を覚える。
恐怖を煽るタイプの怪談では、当然あやかしの姿形や行動についての描写が的確且つ詳細でなければ、お話にならない。それと同様に、登場人物の心理描写に重きを置くウエットな怪談では、心情の変化についての描写が細やかでなければ、その真価を問うことは難しいだろう。結局のところ、登場人物の心情にまつわる部分で違和感を覚えるということは、即ち作品の本質の部分で不備があると指摘されてもやむを得ないところである。もう一文、二文程度友人の言動についての記述が存在していれば、展開がもっと自然で、読み手に迫ってくるものを持った作品に仕上がったであろう。平凡なネタをある程度読ませる内容に引っ張り上げられていただけに、かなり残念な部分であると思う。
【0】