『入院中の病院で』

実話怪談はある種記録性を持った作品であるというのが持論であるが、ここまでやられてしまうと、記録というよりは日記か備忘録である。つまり記録としては完全に近いと言えるだろうが、一つの“作品”としては全く評価のしようがないレベルの構成である。
“怪談”という名を冠する限りにおいて、やはり内容の展開は怪異に集約されるべきであり、その着地点を目指して有機的にエピソードが絡むように書き進めていかなければ、たとえ体験者=書き手であったとしても、そこに“書き手”という審神者(サニワ)の存在は不必要になるだろう。怪談とは記録性を含むが、あくまで文学である。それ故に、本筋とは関係ないトピックまでも書き連ねることは、特別な意図がなければやるべきではないと思うし、もしそれを実行するならば、読み手にそれを納得させるだけの筆力が要求されるはずである。結局のところ、この作品における数々の余計なトピックはただの記録の羅列でしかなく、怪異を顕現させる作品のパーツとしての有機性は皆無であると断じたい。
しかも最悪なのは、ここで述べられている怪異の内容がありきたりの域どころか、怪異であるかどうかの判断もままならぬレベルにあるということである。壁を叩く音がするが隣は空き部屋というシチュエーションは定番であるし、ナースコールしても看護師に軽くいなされるという展開もお決まり。さらに酷いのは、怪談好きを称していながら、結局この怪異について何らかの検証も探索もせず、そのまま退院してしまっているというお粗末ぶり。最終的に怪異ではなく錯覚と言われても反論の余地すらない内容なのである。これで怪談と言われても、正直返す言葉もない。
はっきり言えば、入院中の与太話につき合わされたという印象しか残らない。ただの気晴らしにちょっと変わった話をしていただけ、決定的な確証もなければ、それを認めさせるための努力も何もしていない。要するに、書き手自身がこのエピソードを怪異譚に仕上げる気がないとしか見えないのである(もしかすると、書き手はこういう書き方によって日常に潜む些細な怪異を表そうとしているのかもしれないが、その意図は完全に裏目に出てしまっている。やはり展開の有機性と言うべきものがないと、ただの駄文でしかない)。よって最低評価はやむなしということである。
【−6】