『家族旅行』

いわゆる“心霊写真”ネタの定番であるが、やはり心霊写真の場合は実物があってなんぼのものという意見である。単純に「このような写真が撮れました」と書き綴るだけでは全く怪談話としては芸がないし、かといって、この作品のように写真が撮れた後で因果関係があるのではないかと思しき事故が起こった場合でも、説得力に欠ける気がするわけである。
心霊写真を撮ってしまったために何らかの怪異や事故に巻き込まれたとする因果話は、かなりの数あると言える。しかし因果関係というものを納得させるためには、同じ符丁を持つ現象が複数回、しかも何らかの規則性を持った状態で出現しなければならない。ところが心霊写真が撮れたケースで因果を主張する時に限って、その連続性というものはあまり顧みられない。むしろ写真も現象も単発的であることが大抵でありながら、心霊写真の特殊な存在に依存して、短絡的に両者を結びつける傾向が強い。この作品も結局その流れに沿った展開であるために、実物を見ない限りにおいては得心いかないと言わざるを得ないわけである。(一昔前であれば、心霊写真=凶事の予兆という考えを無批判的に受け入れていたが、昨今のハードルの高さを考慮するとそれだけでは不十分、ある意味子供騙しと見られてしまう危険がある)
さらにこの作品の場合、最後に家の火事を取り上げているのであるが、これが完全な薮蛇な蛇足となっている。体験者としてはこれも心霊写真の障りの一環であると思っているのかもしれないが、却ってこの現象を出すことによって、益々因果性が薄れてしまうという皮肉な結果となっている。火事と心霊写真に写ったものとの因果関係はここに書かれた情報からはまるで出てこないし(母親の怪我の場合は、霊体が被さっていた箇所と同じ部位の怪我という一致があった)、さらに4年後という数字にも何の規則性も見出せない。つまり偶然の可能性の方が強いわけである。これを最後に余韻の如く書いたために、母親の怪我の一件すら偶然で済ましても構わないという印象となってしまった。
“心霊写真”ネタの最も弱い部分を露呈してしまった作品ということで、かなり厳しい評点とさせていただいた。
【−2】