『ダムの監視』

怪異のネタとしてはかなり怖い部類のものであると思う。女の子(“女”と混同しているがイメージは天と地ほどの差があることは言うまでもない)がダムの壁に張りついているのがいつも見えており、その霊がある時、作業員をダム湖に引きずり込むというとんでもない事態が起こるわけである。インパクトもあるし、その霊障の強烈さは相当であると言えるだろう。
しかしこの作品で最も怖い内容は、この女の子の霊を常に監視しているという体験者達の行動である。彼らは何故この霊体がダムをよじ登ろうとしていると認識し、また登り切ることに恐怖を感じるのだろうか。この出だしの部分から、彼らの思考の内容に薄気味悪さを覚えるのである(そのような主張をしている割には、実際に霊体が動いているような記述もなく、どのぐらい監視し続けているのかも不明である)。
そして最大の不気味さは、女の子の霊が作業員を湖へ引きずり込んだ後も、パトカーのサイレンが聞こえてくるまで、その場で一部始終を“監視”していたことに尽きる。つまり突発的な事故が眼前で起こっているにもかかわらず、この冷静さは一体何なんだと思うのである。5分経って女の子の霊だけが浮かび上がってきたということは、まさしく死亡事故が起こったことを暗に示している。それにもかかわらず、目撃者達はほとんど感情も露わにせず、監視を続けているのである。「霊よりも人間の方が怖い」という言葉を地でいく展開である。さすがにこの部分は読んでいて、違う意味でのおぞましさを感じた。霊よりも目撃者である彼らの方が怪異であると言ってもおかしくないだろう。さらに事故後も粛々と監視を続ける様子には、もはや何をか況わんやである。
怪談に倫理や道義を持ち込んで声高に主張することには、違和感を覚える。しかしこの作品における体験者の姿勢には、その違和感を越えた冷血さを覚える。もっと具体的に言えば、“見える”ことへの優越感と断定してしまってもよい。霊体に関する情報のいい加減な書きぶりを見てしまうと、結局彼らが目撃している怪異そのものを書くのが目的というよりも、怪異を通して己の能力の高さそしてそこから発生する独善的な使命感というものを誇示しようとしていると感じてしまうのである。こういう書き方では、反発を食らうことは必至というところであろう。
【−4】