『やめてよ』

怪異は非常に些細なものである。ノブを捻らないと開かないドアが開いて閉まったという内容であるが、既にこの段階で水準を下回る内容と言わざるを得ない。この程度の怪異だけの紹介であれば、それが純然たる超常現象であると認められたとしても、弱いという誹りは免れ得ないだろう。それはたとえこの作品のようにコミカルな味付けをしようとも、あるいは“投げっぱなし怪談”の如き一発芸的手法を用いても逃げ切れるものではない。
しかもこの作品の場合、この怪異とされている現象が本当に怪異であるための裏付けがほとんどなされていない。このドアがとういうタイプのものか分からないために、ドアそのものが閉まっているようで実は完全に閉まっておらず、風などの理由で開いたり閉まったりするように見えた可能性は否定出来ない(ドアクローザーがあるのならば、そのような可能性は否定出来るだろうが)。
さらに言えば、この体験者が他の誰かによってかつがれている可能性も否定出来ない。この用具入れが“人一人入れるかどうか”の大きさであると示している以上、人が入れる可能性があり、それを否定するだけの言葉が欲しいのである(例えば“用具入れには常に荷物が大量に置かれている”などの断り書きがあれば、印象は全く変わってしまうだろう)。結局、そのあたりの検証部分での抜かりが致命傷になってしまっていると言えるだろう。
小粒な怪異をコミカルに書くことによって、読ませるだけの内容に仕上がってしまうことは時折ある。しかしその時でも怪異はおざなりにされず、怪異足るだけの検証はしっかりと行われている。面白く書けたからと言って、怪談は怪談である。本質の部分で不備があれば、絶対に評価を受けないものなのである。この作品の場合、取り上げられた些細な現象が怪異であると断定出来ないため、怪談としては完全に失速状態であると言える。残念ながら、かなり厳しい評価とさせていただく。
【−4】