著者別短評の1

今年はやります、短評。ルールとしては3作以上投稿された方を対象に(これは第1回【超−1】の際に、応募規定として3作以上投稿者のみエントリー有効とされていた名残である。初回のことを知らない人も増えているので、念のための追記)。一応エントリーNo.順にスタートである。


No.1
7作を3月下旬に集中的に投稿。どの作品もプラス点にまで達しておらず、いわゆる撃沈状態である。この書き手の最大の問題点は、個人の怪談観が一般的なものと比べてはるかにずれているというところにある。怪異と認めるにはあまりにもお粗末な作品もあるが、間違いなく怪異が起こっていると感じることの出来る内容であったとしても、それを書き方で完全にぶち壊している。怪異に関する情報不足、怪異の肝の取り違いなど、読んでいて疑念や違和感を覚える部分が多々あった。「怪異とは何か」という最も根元的な部分での書き手自身の再確認が必要であると思う。仮に実験的な書き方で、新しい怪異の表現創出をしようとしてこのような書き方になっているのであれば、即刻改めるべきレベルであるだろう。とにかく現状では怪異譚ではあるものの、内容から滲み出てくる恐怖や負の感情を与える以前に、読みづらさ故の不快感だけが募ると言える。

No.2
5作を大会期間中満遍なく投稿。この書き手の場合、怪異そのものの表現ではなく、怪異を怪異たらしめる構成力の弱さが決定的な問題になっている。連続的に起こる怪異の流れがぶつ切りであったり、強引な因果関係で却って信憑性を失うような展開であったり、とにかくせっかくの怪異を活かすことにことごとく失敗している。端的に言えば、書き手自身の構成力というよりも、書き手の怪異を見る姿勢に問題があると感じる。“あったること”を丹念に押さえる前に、何かしらの先入観を持って怪異を捉えてしまっている感が強いと言える。その先入観によってストーリーが展開されてしまうために、客観的な読み方をすればするほど、書き手の意図の強引さが目立ってしまうのである。明確な目的を持って起こった怪異以外については、それに絶対的な解釈を施すことは無理がある。この書き手の場合、その触るべきではない領域にまで無意識的に個人の思惑が入り込んでしまっている。実話である限り、まずは“あったること”を記録として残すことに専心すべきであり、それなくしては実話怪談の真髄は語れないことを知るべきである。本物の怪異は、書き手の意図などとは無縁で、それを客観的に書くだけで十分成り立つのである。

No.3
6作品を3月と4月の2回に集中して投稿。1作を除き、全てが個人の体験談である(例外の1作も実弟の体験談とのこと)。全体を通して読むと、一昔前の怪談スタイル、いわゆる「投稿型体験談」の印象が強い。しかもこのスタイルの怪談の短所をそのまま引きずったというべき作品ばかりである。主観の強い解釈で話を展開させるために、読み手からすると非常に強引な因果関係を自分目線で作り出してしまっていると見られてしまう。下手をすると完全に思い込みが強すぎて、読み手がついていけなくなるような部分もある。また個人体験を語る上で最も注意しなければならない“自分語り”で、描写の客観性を損なってしまっていると思うところもかなりあった。投稿怪談としてはそれなりの内容になっているかもしれないが、実話怪談を商業誌レベルで書くというコンペティションでは、これでは太刀打ちできないだろう(個人の体験を記録として残すという意味での参加であれば、十分納得のいくレベルなのであるが)。ところで“自宅が全焼”というネタが2作あるのだが、これは同じ出来事を書いたのだろうか。こちらの方がかなり気になってしまった。