『帰ってきたよ』

この作品の場合、実話怪談として最も根幹に当たる部分で問題が生じてしまっており、それ故に評価するに値しないという意見である。
この作品の怪異の肝と呼ぶべき部分は、無惨な姿で帰宅した娘さんの状況なのであるが、結局彼女が生身の存在であるのか、それとも既に亡くなった状態で戻ってきたのかという、怪異として最も基本的な確認が全くなされないままで終わってしまっている。亡くなっているにもかかわらず帰宅してきた姿が目撃されたのであれば、純粋な怪異譚として成立することは言うまでもない。しかしながら、娘さんが顔に大怪我をしたにもかかわらず何とか帰宅したという話、即ち帰宅段階で生きていたという話であれば、それは怪異譚ではなく、いわゆる“奇談”の部類に入るであろう。たとえその後最悪の結果となって亡くなったとしても、肝としては「酷い大怪我をしてでも帰ろうという意志が働いて戻って来た」という趣旨の内容になるはずである。最大の問題は、この怪談と奇談のという二つのカテゴリーを厳密に分類すべきであるにもかかわらず、全く確認もせずに話に乗せてしまった点である。娘さんの生死に関する情報がない状況で、「怪談話」として投稿するという発想そのものが、お粗末極まりないのである。娘さんが帰宅した段階で生きているか死んでいるかの差は、怪異譚としては最重要のファクターであることは間違いない。それは超常的怪異が成立するかどうかの境目であるという認識からである。
それと同時に、仮に娘さんが現在どのような状況であるにせよ、この扱いというか、書き方そのものが無神経すぎるのではないだろうか。職場の同僚の噂話を何の検証もなく(一応“口の軽い人ではない”というような釈明はしているが)そのまま書き綴って公開するという、およそ「作品」と呼ぶにはほど遠い意図で編まれた内容であり、その中で悲惨な体験をした人間を面白おかしく取り上げただけにしか見えない。事故に遭った体験者に対する憐れみや同情など一切なく、覗き見趣味全開の己自身の下世話ぶりを書いているとしか受け取れないのである。要するに、テレビのワイドショーで繰り広げられる、悪趣味な事故レポートに限りなく近い印象しか持てなかった。本当の意味で体験者に対する配慮があれば、少なくともこのような軽妙な書きぶりをすることがどのような印象になるかを考えてから、筆を進めるべきであったと思う。
結局のところ、この作品はただの覗き見趣味が高じて面白おかしく他人の不幸を書いただけの内容と、指弾されてもおかしくないものという意見である。さらにその内容において超常的怪異であるかどうかの判断ができない内容を肝に据えており、怪談として認めることが全くできないレベルということでもある。これまでこの大会から登壇した怪談作家各位の怪や体験者に対する思いというものを、もう一度噛みしめてみるべきであろう。
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