『「2ちゃんねる怪談」の怪』

怪異としては、一瞬のつもりが半日ほど時間が飛んだという感覚に襲われた、プリントアウトされていたはずの怪談話がそこだけ空白になってしまったという内容である。特に特筆すべきは、空白部分が出来てしまったという怪異であり、これは物理的な変化が明白であり、しかも体験者以外にもそれを手渡した本人も確認している。その部分だけ細工をして体験者を驚かそうとした可能性も捨てきれないが、体験者の記憶のたぐり寄せ方、仕掛けたはずの相手のリアクションから想像すると、悪戯の可能性はゼロに近い。あまり派手ではないが、ほぼ怪異が起きたとみなしてよいであろう。
この怪異はいわゆる“伝播怪談”の一種、つまり、ある怪異を見聞きすることで新たな怪異が生じるという怪談話のカテゴリーに属するものであると推測する。ただこの種の怪談は、新しい怪異を引き起こすはずの元ネタの怪異が紹介されているにもかかわらず、読み手には一切何も起こらなかったという叩かれ方をするケースが往々にしてあったわけである。(個人的には“伝播怪談”が絶対的に誰にでも起こりうる怪異であるとは思っていない。人によって感応する場合もあれば、全く気付かない、あるいは伝播することすらない場合もあるという意見である。「自分には起こらなかったから、この話はウソである」と決める人が多いが、霊が見える・見えないと同じ確率であることを考えれば、自分に起こらないからウソであると断定すること自体、おかしな話であると思うべきである。ただ実際にガセである場合もあるし、実は全く違うことが原因の怪異である場合もあることも確かである)
この作品の場合で言えば、結局伝播の元となった怪談話については、書き手自身が核心をわざとはぐらかしているという印象である。おそらく体験者の証言から探そうと思えば出来るのではないか、また実際にプリントアウトした先輩に取材すれば判るのではないかという、非常に思わせぶりな感じで元ネタが提示されている。そして個人的な感想を言えば、この何とも言えないもやもや感こそが、この怪異譚の一つの妙であると思っている。プリントアウトされた怪談話のある一定の詳細を書かなければ、おそらくここまでのリアル感は出なかっただろうし、たとえプリントされた文字群がきれいさっぱり消えてなくなるという不思議を必死に主張したとしても、引っ掛かりはここまで起こらなかったであろうと推測する。かといって実際のネタをばらしてしまえば、過去の“伝播怪談”の悪評の二の舞になる危険もある。結局のところ、「2ちゃんねる」といういかにも胡散臭いごった煮の中から本物の怪異が忽然と現れた、この思わせぶりな書き方こそが、この怪異譚を面白い内容に仕上げた一番の要因だったと思うのである。
怪異の割には少々冗長な説明があった部分もあるが、おおむね読ませるレベルのものであった。ただし、何とも言えない気味の悪さというか後味の悪さを出すのであれば、最後のお寺のエピソード(これで怪異が解決してしまったという印象)を削って、先輩が沈黙を守っている事実のみ書いた方がよかったように思う。いずれにせよ、興味深い作品である。
【+2】